2009-01-01から1年間の記事一覧

  [文献]著作・編集・執筆「書目」一覧。

日々の記事は「エントリー」からアクセスかスクロールして参照をしてください。2004年4月20日 『日本アナキズム運動人名事典』発行。 『日本アナキズム運動人名事典』(内容案内、項目の一部にリンク) 『日本アナキズム運動人名事典』編集・項目執筆 『中濱…

1936年2月21日。シン・チェホは日帝の東アジアにおける侵略と支配に抗する活動の中で弾圧され旅順監獄にて55歳で獄中病死した。

シン・チェホ 1880年12月8日<旧暦換算同年11月7日>- 1936年2月21日<旧暦換算同年1月29日> 歴史学者にして言論人。抗日革命思想家として独立運動、 アナキズム運動の中心で活動。北京に帰り、抗日運動に奮闘。1921年頃北京大学の中国人教授、アナキストの…

1911年1月24日、東京監獄にて11名絞首、幸徳秋水 午前8時6分 新美卯一郎 午前8時55分 奥宮健之 午前9時42分 成石平四郎午前10時34分 内山愚童 午前11時23分 宮下太吉 12時16分 森近運平午後1時45分 大石誠之助 午後2時23分 新村忠雄 午後2時50分 松尾卯一太 午後3時28分 古河力作 午後3時58分 処刑  宮下太吉、執行寸前「無政府党万歳」と叫んだと伝わる。管野須賀子は翌25日に処刑。

[アナキズム運動史]1925年1月20日 後藤謙太郎の死

1「一月二十二日の日も暮れたときである。私が運動社の近くの露地まで帰ると、医師奥山伸先生の懐中電灯の案内で、村木が担架で社へ運びこまれるところであった。 …病床には、延島英一君母子、岡本文弥、村木が横浜で牛乳配達のころから世話になり懇意にして…

[アナキズム運動史]1911年1月18日

幸徳秋水ら 24名に死刑判決 大審院、24名に有罪判決、新村善兵衛、新田は爆発物取締罰則のみ認定、「大逆罪」を承知していたという調書は信用できないとされた。大審院の審理は形式的で、政府の意を受け刑法73条適用、取調、予審訊問をコントロールした検事…

[日誌]

安重根の獄中記

「アナキズム運動史」1908年1月1日 『高知新聞』幸徳秋水「病間放語」掲載 

「文明の日本、戦勝の日本、樺太を占領し、朝鮮の保護するの日本、三井と岩崎の日本においても革命はたしかに活ける問題なり」「フィリッピン人・ベトナム人・朝鮮人中、また気概あり、学識ある革命家、けっしてすくなきにあらず。彼らの運動が単に一国の独…