2007-10-01から1ヶ月間の記事一覧
<官憲資料より> 大杉栄……近来自己に対する警察側の処遇苛察に渉り諸事圧迫的の態度ありと憤慨し11月3日当日挙行あらせをるへき立太子礼を機とし何等か異常の行動に出て警察当局をして狼狽せしめ以て復習的手段に出つると同時に従来沈衰せる同志の志気を鼓…
金子文子の第1回訊問調書が作成される。調書(大正十二年十月二十五日東京地方裁判所) 金子 文子 (原本 冒頭略)一問 氏名、年齢、族称、職業、住所、本籍及出生地は如何。答 氏名は金子文子。年齢は戸籍面では二十二歳でありますが本当は二十歳であります。族…
大杉栄、野枝書簡「……一昨日ちょっと服部へよったら……こっちはまたその前夜一晩徹夜して<自叙伝>を30枚ばかり書いたので、風は少々後もどりしたが、もういい。きょうからまた雑誌の編集だ。それで一休みしようと思って、きのうは上天気を幸いに、大ぶ疲れ…
大杉栄、野枝宛書簡「……風はまださっぱりしない。一昨夜一ばんかかって『改造』の原稿を二十枚ばかり書いたから、……きのう、江口の家の家主の婆さんが来て、家賃を払ってくれないから何とか話してくれと言って、いつまでもくどくどやる上にオイオイ泣き出す…
ギロチン社、古田大次郎ら銀行員襲撃、古田は誤って銀行員を殺してしまう
9月10日、東京地裁、死刑判決。弁護人の山崎今朝弥、布施辰治は反対したが、古田は死刑を受け入れ、控訴せず1925年10月15日午前8時25分、絞首される。古田の純真な思いが表現された獄中手記『死の懺悔』が出版されベストセラーとなる。続けて『死刑囚の思い…
参考 <『東京監獄・市ヶ谷刑務所刑場跡慰霊塔について』森長栄三郎発行、より抜粋>≪鍛冶橋監獄署、東京監獄沿革≫「警視庁監獄署は元鍛冶橋内監倉事務取扱所と称し、八重州町に在り…1870年12月の創設……1874年12月、竣工、称して鍛冶橋監獄……1903年3月、警視…
金子文子、朴烈に関し検事総長小山は大審院第2特別刑事部裁判長判事豊島に大審院公判に付すべきという意見書を提出する
目次 まえがき 壱之章 林達夫氏の思い出 「天衣無縫の怪物社長」下中弥三郎 山崎正一さんと出隆先生 編集者泣かせだった久野収さん 加納秀夫先生の思い出 増井先生の思い出、二、三 弐之章 石川三四郎の思い出 石川三四郎 近藤憲二と山鹿泰治の思い出 地の塩…
萩原恭次郎、第二詩集『断片』を渓文社より出版。
大杉栄『労働運動』第1号発行、本郷区駒込曙町13 大杉栄執筆原稿<労働運動の精神><賀川豊彦論><読者諸君へ>「中村還一、年二十二、時計工、和田久太郎、二十七、人夫、新聞紙違反で十ヶ月の牢獄生活を終えて出て来たばかり 近藤憲二、二十五、早稲田大…
昨日届く。琵琶湖畔の和邇に住む高橋幸子さんが発行してい季刊のミニコミ『はなかみ通信』 (A5判80頁)に鶴見俊輔さんが詩や「私小説」という短文を毎号執筆している。 今号「其の二十一通」(07年9月27日発行)は昨日届いたばかり。(2007年10月1日)。 高橋さ…
大杉栄、荒畑寒村 『近代思想』創刊 幸徳伝次郎発行『自由思想』の購読者名簿に拠り各地方の同志に対し葉書を発送して該雑誌の購読を勧誘大杉栄テキスト<本能と創造>評論<発刊事情><9月の評論>
<革命の研究5>大杉栄 <編集室から>「パンフレットが飛ぶように出て行く。『青年に訴ふ』八千部刷り『革命の失敗』は五千部刷ったのが、どちらももう殆どない…二十三日 栄」 <独裁と革命 無政府主義革命に就いての一問答> 大杉栄 <労農ロシヤの承認> …