2007-10-15から1日間の記事一覧

1925年10月15日。

9月10日、東京地裁、死刑判決。弁護人の山崎今朝弥、布施辰治は反対したが、古田は死刑を受け入れ、控訴せず1925年10月15日午前8時25分、絞首される。古田の純真な思いが表現された獄中手記『死の懺悔』が出版されベストセラーとなる。続けて『死刑囚の思い…

市ヶ谷刑務所跡地、刑死者慰霊の碑、都営青山霊園「一種ロ16号16側9番甲」の「古田氏の墓」を訪れる。霊園事務所側の歩道を通り、霊園内信号機のある交差点を越え最初の案内板で右に曲がる。表示から三つめの墓所。墓石の裏には「昭和53年 古田浩」と刻まれている。

参考 <『東京監獄・市ヶ谷刑務所刑場跡慰霊塔について』森長栄三郎発行、より抜粋>≪鍛冶橋監獄署、東京監獄沿革≫「警視庁監獄署は元鍛冶橋内監倉事務取扱所と称し、八重州町に在り…1870年12月の創設……1874年12月、竣工、称して鍛冶橋監獄……1903年3月、警視…