2008-09-01から1ヶ月間の記事一覧

1915年9月25日 野澤重吉死亡

野澤重吉肖像 大杉栄による野澤重吉への献辞 左頁 大杉栄による野澤重吉への献辞 拡大 『労働運動の哲学』カバー 『労働運動の哲学』表紙 『労働運動の哲学』大杉栄「自序」1頁 『労働運動の哲学』大杉栄「自序」2頁め3頁 『労働運動の哲学』大杉栄「自序」4…

1923年9月24日不逞社のメンバーで金子文子の同志、新山初代が逮検挙される。新山初代。1902?年?-1923年11月27日。東京府立第一高等女学校2年で父親が死去。肺病になり、新潟で半年間静養、生死の問題に悩んで仏教を研究。1920年3月、女学校を優等で卒業後、正則英語学校夜学に通学、金子文子と知り合い、後に不逞社に参加。金子は「初代さんは恐らく私の一生を通じて私が見出し得た、ただ一人の女性であったろう」と語っている。

新山は金子に『労働者セイリョフ』を貸し、ベルグソン、スペンサー、ヘーゲルや、ステイルナー、アルツィバーゼフ、ニーチェというニヒリズム傾向の思想も伝える。22年11月肺病のため、母、妹二人と別生活を余儀なくされ、本郷区駒込蓬莱町18<当時の労運社…

東京の景観・二本榎

1925年9月19日。和田久太郎書簡[望月桂宛]「古田君と面会した」「特別許可を願って、正札附、最後の手紙を書く。昨日は古田君と面会した。別に話すべき事のあらう筈がない。馬鹿話をして愉快?に握手して別れた。今日、これから愈々執行になる。行先は未だ告げられない。今朝、近藤君と岩佐君とが面会に来てくれた。十一時すぎだと、もう駄目だつたかも知れない。全くいい時だつた。いい天気だね、今日は秋の彼岸だからな──」

1925年9月16日「追悼会「来る九月十六日は、大杉君等が殺された第三周年に当ります。就いては、次の如く、同志諸君と共に追悼茶話会を催すことに致しました。御出席を願ひます。

時 九月十六日午後六時 所 労働運動社 費 拾銭 労働運動社」

1925年9月16日「大杉君の命日だ。まだまだ生命がある。今日もいゝ天気だ。しかし、死ぬには余り明るすぎる。前には午前十時頃に死にたいと言つたが、朝の中は如何も暑苦しい、ケバケバし過ぎる感じがして厭だ。矢張り夕方がいゝ。今日の夕方なんか實によくなりそうだ。

心配する事もなし、悲観する事も恐がる事もないから、別に頭の疲れる訳がないのだが、十日からこの方、晩は實際よく眠れる。いつもよりか眠たい位だ。変わった夢も見ない。過去のこれと言つて特別になつかしい事も出て来ず、家のものたちの事も出て来ない。…

1926年9月16日「9月16日、大杉栄追悼会を労働運動社にて行なう。関西にては解散を命ぜられた」

『黒色青年』6号(1926年12月発行) 同紙に関しては以下のサイトがある。http://members2.jcom.home.ne.jp/anarchism/kokushokuseinen.html

1924年9月16日「九月十六日には大杉君、野枝さん、宗一坊の一周年追悼会が、東京、大阪、和歌山、静岡、等各地で行はれた。本号は記事輻輳の為、遺憾ながら其等の盛況を載せ得なかつた。追悼会のあつた各地の同志に、謹んでお詫びします」『労働運動』第六号 1924年12月1日発行

1923年9月16日。大杉栄、伊藤野枝、橘宗一虐殺さる「戦友の死「大杉栄、伊藤野枝両君が、去る九月十六日、橘宗一君と共に東京憲兵隊本部で虐殺された事は、既に諸君の熟知せるところである。

同志諸君! 我等が常に、友人として、先輩として、且つはまた我等の有力なる同志として、相励まし相親しんでゐた大杉、伊藤の両君は倒れた。我等の運動の尊き犠牲として、遂に我等の戦線に倒れた。我等は両君の死によつて、まことに償ふべからざる大なる寂寥…

キムチが届く

東京

1925年9月10日古田大次郎獄中手記より『死刑の宣告を聞きにゆく日』九月十日! 去年の今日、朝早く、寝込みを襲はれて村木君と僕は、他愛なく警視庁に挙げられて終つたのだ。早いもので、もう一年経つた。因縁の深い今日、刑の宣告を承はりに、さア出掛けるとしようかな。

帰監後、予ての覚悟だつたから、宣告を聞いた後も、怖ろしい事も淋しい事もない。実に静かな気持ちだ。判決が思ひ通りだつた所為か、大変愉快だ。…今日は加藤一夫君が来てくれたので…仮監で和田君に会つた時、和田君は物も言はずに突然手を握つて「しつかり…

1924年9月10日古田大次郎逮捕。古田大次郎、弾圧。上蛇窪の根拠地に刑事を派して内偵させた所、倉知は七月二十八日金策のため下阪して六畳、三畳二間の長屋には古田と村木が潜んで既に製造された爆弾十数個が積み上げられてゐることが判り、万一踏込みが知れるや爆弾を爆発し自殺しかねまじき形成なので刑事は二日三晩といふもの同家を遠巻にして捕縛の方法に苦心の末遂に多少の犠牲者を出す覚悟でいよいよ九月十日午前一時頃刑事部からは土屋、出口、恒岡の三警部及び特高、内鮮刑事部からそれぞれ敏腕な刑事三十名を選び全部変装してこれを

……夜になるとコツコツ 隠れ家の怪 上蛇窪の隠れ家は差配金子峰蔵から七月十五日から一月廿二円敷金三ヶ月分として借り受けたものであるが誰が住んでゐるのか近所の者には顔さへ見せなかつたが…。

アナキズム運動史]1924年9月6日。古田大次郎震災直後からの戒厳令司令官・福田雅太郎宅に小包爆弾を送りつける。爆発するもけが人なし。

1924年9月3日 古田大次郎、村木源次郎、和田久太郎が留置されていた本郷本富士署にタバコ缶を外装とした爆弾を投げ込むも不発

1923年9月3日金子文子、朴烈、代々木富ヶ谷の自宅で世田谷警察署により検束