2007-11-01から1ヶ月間の記事一覧

下高井戸近辺で午前中を過ごす。

1923年11月27日。 

新山初代、病気で出獄、芝、協調会病院で死去 1902?年?-1923年11月27日 東京府立第一高等女学校2年で父親が死去。肺病になり、新潟で半年間静養、生死の問題に悩んで仏教を研究。1920年3月、女学校を優等で卒業後、正則英語学校夜学に通学、金子文子と知り…

所用で神保町に赴く。

『小説 尾形亀之助 窮死詩人伝』正津 勉 著。届く。

定価2,310円(本体2,200円) ISBN 978-4-309-01838-6 宮城の富裕な造酒屋に生まれ、放蕩無頼なアヴァンギャルド詩人としてさまざまな文芸・芸術潮流を経て、自己を徹底的に突き放した誠実な窮極の詩を書き、二次大戦直前に窮死した詩人亀之助の生涯を初めて…

1910年11月22日。エマ・ゴールドマン、ニューヨークで「幸徳事件」への第一回抗議集会を開く、数百名が出席。「ニューヨーク・アピール」を採択

1938年11月22日。萩原恭次郎、病死。午前零時15分、溶血性貧血(胃病)にて死亡。享年40。翌23日葬儀。

http://www.ocv.ne.jp/~kameda/hagiwara-chronicle.html

AMLへの投稿。前田朗さんが[AML 16728] 「死刑再審請求事件の福岡事件」で講演を紹介した「福岡事件」そのものに関して、今日のテレビ朝日系の「スーパーモーニング」内で特集され「天国からの再審請求」とタイトル、9時8分から9時33分まで25分(CM含む)放映されました。

情報番組としてはよくまとめられた内容で、独立したドキュンメタリー番組 として制作されなかったのが惜しまれます。(あるいは完成させるのか?) 実際の実行者<死刑判決を受けたが「恩赦」で出所>、被害者遺族、刑務所の 教誨師<遺族の長女が父親の立場…

トスキナア編集委員会。七号発行に関して

1922年11月20日。大杉栄にフランスのアナキストから国際大会への招請状届く。

1912年11月20日。大杉栄 <大久保より>。 

「今日はミカドのお帰り遊ばす日、半日検束」 『近代思想』12月号

AMLへの投稿 RE: [AML 16298] 加害の歴史をタブーとしない…天皇国家への「対抗」、古田大次郎、『未来を開く歴史』に書かれていないこと。

1925年10月15日に市ヶ谷刑務所で処刑された古田大次郎は 前の投稿で言及した中濱鐵(なかはま・てつ)と当時は摂政宮で あった皇太子裕仁を要撃(まちぶせ)せんとしました。 下記サイトで要撃以外の諸々のことはアップしています。 「古田大次郎の生と死」 http…

山歩き。山梨県大月市。倉岳山、高畑山(富士のよく見える山)

梁川駅から倉岳山(約2時間半)、高畑山経由で鳥沢駅(約3時間)。

やまなし金子文子研究会例会。

AMLへの投稿。

2007/10/23 (火) 14:03[AML 16443] <加害の歴史をタブーとしない…>にて「後年 ヒロヒトが作り出す罪があまりにも大きすぎるから。たとえ財閥が天皇を操ったものであっても。成功の確率が万に一つであっても未曾有の大惨事を防ぐ努力はすべきでしょう。昭和…

1924年年11月15日 

難波大助、処刑される。 難波の遺体を引き取りに出向いた、自然児連盟の山田作松、横山楳太郎、荒木秀雄らアナキストが検束される。

1922年11月14日。

大杉栄書簡より。 伊藤野枝宛「少々疲れて、一昨日と昨日とは寝てくらした。といっても、ただ時々横になるだけで、いろんな奴に邪魔されて閉口した。きょうは仕事を始めようと思って、朝、机に向かうと『日日』の宮崎が来る。続いて三、四人やって来て、とう…

1919年11月13日。

大杉栄ら『労働運動』第2号発行 関西支局 南区空堀町11武田伝次郎方主任和田久太郎 南出張所 南区水崎町719逸見直造方主任逸見直造 名古屋支局 中区西瓦町2の23主任伊串英治

1910年11月12日

幸徳秋水らへの大逆事件 エマ・ゴールドマン、ヒッポリート・ハベルら5名のアナキスト・自由思想家が駐米全権大使内田康哉あてに講義文を送る、これを機に全米、ヨーロッパにおいて抗議行動が広がる 画像 明治大学人文科学研究所叢書 『大逆事件の言説空間…

1918年11月11日 

欧州戦乱休戦条約成立、大杉栄は次の如く語たれり 休戦条約の締結……独逸革命は至極平穏に行われたり……真正の革命と……到底労働者階級を満足せしすること能わざるべしと思惟す而してリープクネヒト等一派の過激思想……一方労働者は既に自覚し居………此の現状を永…

1908年11月10日。 

宮下太吉、東海道線大府駅での天皇の見物人に『無政府共産』を配る、公然たる反天皇宣伝 11月には内山愚堂から『無政府共産 入獄紀念 革命』が送付されてきた。 『無政府共産 入獄紀念 革命』(部分) 「人間の一番大事な、なくてはならぬ食物を作る小作人諸…

1919年11月9日 

大杉栄、労働同盟会(一名北風会)に出席

1922年11月8日 

大杉栄書簡伊藤野枝宛「きのうは青年会館で、大島製鋼所の連中の、官憲横暴弾劾演説会というのがあるはずだった。それには出ないつもりで、おとといこっちへ(鵠沼海岸)来たのだが、きのうの昼すぎになって急に行って見たくなったので、魔子を鎌倉へ連れて…

1919年11月7日。 

和田久太郎、中村還一、大杉栄らの「労働運動社」の活動のため京阪地方に赴く。

1913年11月7日。 

大杉栄、山本飼山の葬儀参列。 「荒畑寒村による<大久保より> 「大杉が器官を悪くして……7日、大杉、堺、橋浦、二郎、僕、それに故人の親戚友人10人ばかりで、山本飼山の遺骸を落合の火葬場に送った。…僕等5人だけ分れて、帰途、焼芋屋へ上がり込んだ。……盛…

1925年11月6日。望月桂、近藤憲二、秋田刑務所の和田久太郎に面会。

<参考>『大正自由人物語』小松隆二。1928年2月22日、和田久太郎の遺体引取り。 望月桂、近藤憲二の二人は昼一二時ニ〇分に秋田駅着。以下、小松による和田死去の日の状況が述べられている。「和田の急死は秋田刑務所の記録では監房にて午後七時に縊死(自殺…

1926年11月5日。 

金子文子の遺骨、朴烈の故郷の山中に埋葬される。 金子文子の遺骨は予定の5日午前10時埋葬を変更して午前9時遺骨保管中であった聞慶警察署において義兄朴廷植に交付し即時同署警察官2名付添ひ午前十時墳墓所在地慶北聞慶郡身北面8霊里(聞慶邑内を去る西北2…

1927年11月4日。

『黒色青年』14号「東北黒色青年連盟演説会」 10月31日、我等は結盟の日を機とし、自由連合組織、無政府共産主義に就いての演説会を開催した。 関東黒色青年連盟よりは10数名の同志が応援し、黒旗は奥羽の空に北風となびく。 我等が絶叫の足跡は、東北の地の…

ナムハンサンソンを廻る。ピークと南門でマッコリを飲む。下り40分。村を通過。

1909年11月3日。宮下太吉、明科で爆裂弾を試爆。

「…天皇の存在に対する歴史認識から、東大を追われた久米邦武の『日本古代史』も大きな役割を果たしている。 宮下は幸徳、森近らの平民社との交流、内山愚堂の『無政府共産』から天皇観の影響を受け学び、天皇の存在が労働者、小作人、戦争に駆り出される人…

ソウルにて自由共同体研究会主宰、ワークショップ出席。友堂記念館。