2008-01-01から1ヶ月間の記事一覧

1926年1月31日。黒色青年聯盟、黒旗事件(銀座事件)  

『黒色青年』より わが黒色青年連盟は1月31日午後6時半より芝協調会館で第一回の演説会を開催した。東京地方に散在する無政府主義団体の最初の会合であった。会する者七百有余。二流の黒旗の下には6つのスローガンが挙げられていた。40数名の弁士はこのス…

キム・ガンサンさん執筆の論文「<佐藤優現象>批判」が1月27日付でウェブ上で全文公開されています。http://gskim.blog102.fc2.com/

以下はご本人のプログ「私にも話させて」http://watashinim.exblog.jp/ からの引用。「このたび、『インパクション』第160号(2007年11月10日発行)に掲載された、「<佐藤優現象>批判」の全文を公開した。全文公開に関しては、『インパクション』編集部の…

1911年1月30日。堺利彦宅にて幸徳事件、幸徳秋水ら刑死者の遺体引取りに関わった人たちの慰労の集まりが開かれる。大杉栄も参加。

正春寺。管野須賀子墓碑。

管野須賀子の『平民新聞』発行における奮闘管野須賀子処刑百年 (リンク)

2003年7月末→8月1日

韓国から来訪の研究者≪事典項目執筆・翻訳≫を案内。それぞれ金子文子と伊藤野枝への研究の深化と理解を深めるため。国会図書館占領期資料室で朴烈に関わる韓国語文献、確認、複写依頼。山田昭次さん宅で懇談。文献<複写>を提供される。 <伊藤野枝>研究に…

1911年1月25日。管野須賀子、東京監獄にて処刑される。

幸徳事件、大逆事件関連執筆原稿・リンク 幸徳秋水著『平民主義』と石川啄木 プログ内リンクブログ「大逆事件」 東京監獄処刑場跡地。 死刑の宣告を受けし今日より絞首台に上るまでの己れを飾らず 自ら欺かず極めて卒直に記し置かんとするものこれ 明治四十…

1925年1月24日。村木源次郎死す。

<東京朝日新聞> 1.24 某重大犯人市ヶ谷で獄死 臨終の間際に共犯と妻に接見を許され 保釈の自動車で絶命 ■昨秋勃発した某重大事件の犯人として検挙され、市ヶ谷刑務所の未決監に収容されていた村木源次郎(三三)は最近宿痾の肺患が重り二十三日正午俄に危…

1925年1月23日。村木源次郎

牢獄に倒れた二人の同志 『労働運動』掲載 1925年2月1日第八号牢獄に倒れた二人の同志同志諸君──諸君の知る如く、村木君は、もの優しい、友情に富んだ人格であつた。多くの同志が、君の温かい情けと親しみにむよつてどれだけ慰められてゐたことか。そして僕…

1911年1月18日。

幸徳秋水ら 24名に死刑判決 大審院、24名に有罪判決、新村善兵衛、新田は爆発物取締罰則のみ認定、「大逆罪」を承知していたという調書は信用できないとされた。大審院の審理は形式的で、政府の意を受け刑法73条適用、取調、予審訊問をコントロールした検事…

1911年1月13日。新村忠雄、獄中手記。

▲午後寒くなって冷えるので寝て本を読んで居ると面会だ。赤い紙だから弁護士だと言われた。▲行って見ると半田一郎君だった。 …………▲拘引以来はじめて人にあったのだ。饒舌りたい事許りだったが、冒頭にいろいろ注意があったので残念ながら別れた。▲半田にあっ…

「太平洋沿岸の労働者による 東方無政府主義者連盟 日本官憲の迫害、支、鮮、臺の同志逮捕」 「暴壓と闘い同志を救え! 上海事件の断罪に抗議せよ!」 『自由聯合新聞』三二号 一九二九年二月一日

日本官憲の迫害、支、鮮、臺の同志逮捕 我等の理想社会建設のための一切の闘争は、只に一地方に於て、部分的に行ひ成すことに止まることなく。常に我等と共に自由と平等の社会の建設のために努力を惜まざる、すべての、真実の意味に於ける解放運動の成員、及…

1911年1月10日。

石川啄木、アメリカで秘密出版され日本国内に送付されたクロポトキン著の小冊子『青年に訴ふ』の寄贈を歌人谷静湖より受け愛読する。 「社に行くと谷静湖から約束の冊子が届いていた。在米岩佐作太郎なる人から贈って来たといふ革命叢書第一篇クロポトキン著…

アナキズム運動史]韓国映画「アナキストたち」

二〇〇〇年五月はじめ、ソウルの中心街の映画館で韓国の若いアナキストたちと共にみた。封切りは四月二九日。韓国語はわからないままアクション映画としての側面を楽しんだ。映画館は満員。日帝の軍人が攻撃されるたびに観客席はどよめいた。その数日前、一…

白貞基に関する記事。『自由聯合新聞』

87号 1933年12月10日 「この暴壓を見よ! 元、白両君無期懲役 上海爆弾事件 暗黒裁判」 既報 上海に於ける有吉公使暗殺支那各地の爆弾事件に関連して捕はれた朝鮮の同志元、白、李三君は日本に移送され長崎刑務所にあつたが去月廿四日支配者の暴虐極まる重刑…

1911年1月9日。石川啄木、クロポトキンを語る。

石川啄木、瀬川深宛「僕は必ず現在の社会組織経済組織を破壊しなければならぬと信じている、これ僕の空論ではなくて、過去数年間の実生活から得た結論である、僕は他日僕の所信の上に立って多少の活動をしたいと思ふ、僕は長い間自分を社会主義者と呼ぶこと…

百蔵山、1,003mまで猿橋駅から歩きました。

『奪還』

『自由聯合新聞』第四十号、昭和四年、一九二九年十月一日

<解放運動と民族運動>李 弘 根 植民地(或ひは弱小民族)に於ける革命運動が愛国運動に陥り易い民族主義運動を以ては、到底民衆の全き解放を成就し得られない事は、単に理屈からだけではなしに事実として、アイルランドに於てトルコに於て中国国民党運動に…

1923年1月。「朝鮮革命宣言」

大審院作成日訳全文<原史料は『朴烈・金子文子裁判記録』大審院所蔵・80年後に翻刻>関連記事「白貞基への弾圧」 「映画『アナキストたち』」「シンチェホ<左端>と同志] 朝鮮革命宣言(訳文)<1925年朴烈公判記録に添付された文献> 一、強盗日本が我国号…