『自由聯合新聞』第四十号、昭和四年、一九二九年十月一日

<解放運動と民族運動>李 弘 根
 植民地(或ひは弱小民族)に於ける革命運動が愛国運動に陥り易い民族主義運動を以ては、到底民衆の全き解放を成就し得られない事は、単に理屈からだけではなしに事実として、アイルランドに於てトルコに於て中国国民党運動に於て証明されてゐるのである。故に植民地の民衆は其の全き解放の為に断然と民族主義を捨てねばならぬ。而して自己階級性に自覚して解放運動へと進むべである。

……植民地の民衆は断じて民族とか独立国家とか云ふ美名にかくれてブルジョアが自己階級の支配的搾取的野望の確立を企画する民族主義革命の幻から醒めねばならぬ。…………
…………資本主義的搾取制度が産み出した所の殖民地民族の地位に対して必然的に持ち来たされる所の民族的侮蔑──及び是れから生ずる凡ての社会的不正に
盲目であれと言ふのではない、誰が何と言つても、殖民地の民衆が二重の壓制(階級的民族的)に苦しみつゝあるのは事実であるのだ。…………
 吾等は何処の革命運動も常に深化する事を知る、最初は漫然たる意識や形態を取つて起つた解放運動が時日の経過につれて段々革命意識は闡明され、その闘争は先鋭化されて、遂に解放にまで導かれる、フランス革命を見よ、ロシア革命を見よ、更に近世社会主義の大成を見よ、それは常に深化されつゝ来てゐるし且つ行きつゝあるではないか、殖民地の革命運動も此の深化を避け得ないのだ、最初は民族的不平と民族的意識及闘争が不断に深化されて遂に社会革命の意識と闘争にまで発展するのである。……………………
漫然たる民族主義革命運動をして社会解放運動にまで進化さすべく最善の努力がなければならぬ

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然るに共産党はそれと反対に此の現象を麻痺せしむる為に腐心する、現階級に於いては民族主義綱領を支持せよとか、社会解放へ行く方便として民族解放の過程を過程(仮定? か)せよとかの号令をかけつヽ……………………
 深化された殖民地解放運動の新しき形式としての植民地労働者農民運動は他の宗主国の労働者農民運動に比して一つの特質を持つ。其の特質とは社会解放運動であると同時に、民族解放の任務を兼ねてゐると言ふ所にある。即ち深化された植民地革命運動の新しき形式としての植民地労働者農民運動は、その深化以前に於ける革命形式──民族解放の事業をよりよき意味に於いて継承したのである。斯くして、植民地ブルジョアは、その革命の武器をプロレタリアに奪はれたのである。故に植民地民族解放は其の労働者農民の手で始めて行はれる事になるのである。
 そして、植民地労働者農民こそは、民族解放の真の意義を開明し得る唯一の要素である。民族的侮蔑──それより生ずる一切の社会的不正を除去し而して、凡ての民族がその人種的差別を超越して同一水平状態に地ならしをする事──此れが真の意味の民族解放であつて、独立国家を持つ事は、ブルジョアの搾取制度の樹立であり、他民族侵略の前提ではあるが、決して真の民族解放ではないとそれは指摘するのである。
 然らば、植民地の労働者農民運動が民族解放の特質を持つ理由は、自分等を搾取する資本家(工業主や地主)が征服民族のそれであるが故に、常に民族的侮蔑を受けつつあるからである。征服民族の資本家は植民地労働者農民に対して民族的差別待遇(労働時間や賃金や其の他に於いて)を与へて、彼等の民族的反感をそヽつてゐるのである。そして、此の事実に豊富な原料と労働力の供給を仰ぎ生産品を高価で売りつける為に植民地を要求する資本主義そのものヽ本質からして避け得られないのだ永遠に奴隷状態に置く為ににだ! 日本政府が日鮮融和、一視同仁を宣伝しつヽ朝鮮人に対する社会的政治的差別待遇を与へ、且つ、安き賃金を払つて長く働かせたり、又は朝鮮労働者の渡航制限や失策を緩和させる為めに朝鮮労働者二万人送り還しを計画してゐる東京市社会局のやり方などは皆それに原因するのである。

それ自身民族解放特質を持つべき殖民地労働者農民運動は──深化された植民地革命運動は、その本国の労働者農民とは如何なる関係に立つべきであるか? 其れを知る為には
一、 資本主義打倒
二、 社会民主主義共産党は無力
である。斯くして私共は植民地問題解決(民族解放)の為には是非とも資本主義を打倒せねばならぬのであるが、


故に植民地の解放運動が提携し得る唯一の味方は自由聯合主義者であるのみである