2006-09-01から1ヶ月間の記事一覧

1908年9月30日幸徳秋水、平民社を豊多摩郡巣鴨村に移転、内山愚童は移転を手伝い宿泊。戸恒、新美、守田、徳永保之助、川田倉吉らも出入りする。

1924年9月30日。ギロチン社、山田正一、大阪の武田伝次郎宅で逮捕。中浜哲の脱獄作戦に関与

1922年9月30日。大杉栄、全国労働組合総連合会に出席 午後8時30分解散を命ぜられ不穏の挙…検束される

1911年9月29日。大杉栄、同志茶話会に出席。神楽坂倶楽部。堺利彦、藤田四郎主催

映像の分解Ⅲ

39 『黒濤』一面のイラストのアップ 40 再びイ・ムンチャンさんへの取材 41 『太い鮮人』の復刻版頁をめくる 42 『現社会』復刻の表紙のアップ 43 金子文子の写真アップ 44 横浜をイメージした町? 店のアップ 45 鴨沢集落 46 小学校の校庭、児童たちの古い写…

1915年9月28日大杉栄らにより『近代思想』(第2次)複刊される。

1924年9月27日ギロチン社、倉地啓司、大阪で逮捕される。

映像の分解Ⅱ

24 学校校舎前のレリーフ「三一独立運動」に決起した生徒たちか 25 別のシーン。どこかの記念館か「三一独立運動」の群像が赤の色調により写される 26 取材を受ける韓国の面識がない方、大学の教員か 27 再び校舎の窓、数秒 28 古い痛んだ樹木、ナレーション…

映像の分解。韓国MBC制作、2002年頃『朴烈(金子文子)』註 韓国語は判らないので映像からの推定です。

1 予審法廷のイメージ映像。1925年5月29日「朴烈第十九回予審訊問」の内容か 2 大審院での二人の写真、斜め背後から、新聞記事からのアップ 3 当時の新聞記事アップ。「12月に大審院」が開廷される、実際は延期 4 その記事から横に掲載の朴烈と金子文子の写…

昨日、甲府の「竹中英太郎記念館」を訪問。

1915年9月25日。野澤重吉死亡。大杉栄の論集『労働運動の哲学』1916年発行直後、発禁処分。その表紙を開くと扉に「僕をして此の諸論文を書かしむべく、最も大なる力を、生きたる事實によつて與へてくれた、車夫故野澤重吉君に本書を献ずる。」と献辞が書かれている。その裏面は野澤の肖像写真。野澤は銀座の、いわゆる「尾角組」(銀座尾張町の角の駐車場に集まった)の車夫として組合活動に尽力した。堺利彦「築地の親爺」「労働者の死」、石川三四郎「野澤重吉君を想ふ」(フランスより)と弔文を寄せている。

1923年9月24日不逞社のメンバーで金子文子の同志、新山初代が逮検挙される。新山初代。1902?年?-1923年11月27日。東京府立第一高等女学校2年で父親が死去。肺病になり、新潟で半年間静養、生死の問題に悩んで仏教を研究。1920年3月、女学校を優等で卒業後、正則英語学校夜学に通学、金子文子と知り合い、後に不逞社に参加。金子は「初代さんは恐らく私の一生を通じて私が見出し得た、ただ一人の女性であったろう」と語っている。

新山は金子に『労働者セイリョフ』を貸し、ベルグソン、スペンサー、ヘーゲルや、ステイルナー、アルツィバーゼフ、ニーチェというニヒリズム傾向の思想も伝える。22年11月肺病のため、母、妹二人と別生活を余儀なくされ、本郷区駒込蓬莱町18<当時の労運社…

金子文子の歌碑がある葡萄畑の「巨峰」が届く。旬を少し過ぎているとのことだが美味。

<谷あひの早瀬流るゝ水の如く砕けて砕く叛逆者かな> 金子文子

全文転載。日曜日、大阪にて開催のライブ&

トークイベントのご案内です。 〈文化〉の政治性を「音楽批評」の枠組みの中で追究している批 評集団・DeMusik.Interの主催。ぜひお越しください。 『音の力』関西上陸編〜独立音楽愚連隊、ミナミへ 2006年9月24日@SUN HALL●日時● 2006年9月24日(日)●…

「いせ屋」話題の紹介。「職業不良家」さんのブログ

http://blog.goo.ne.jp/wakamatu1939/d/20060917 http://blog.goo.ne.jp/wakamatu1939/d/20060919 http://blog.goo.ne.jp/wakamatu1939/e/21c3728bf599eb53ea1d5cf85f9c72e8 こちらは花岡事件への言及

1910年9月21日。ロイター通信が「天皇暗殺計画」を報道。この報道がエマ・ゴールドマンたちの活動につながります。

11月12日 エマ・ゴールドマン、ヒッポリート・ハベルら5名のアナキスト・自由思想家が駐米全権大使内田康哉あてに講義文を送る、これを機に全米、ヨーロッパ抗議行動が広がる。 11月22日 エマ・ゴールドマン、ニューヨークで第一回抗議集会を開く、数百名が…

「やまなし金子文子研究会」の集まりが24日の日曜に甲府市内で開催されます。

1925年9月19日。和田久太郎書簡[望月桂宛]「古田君と面会した」「特別許可を願って、正札附、最後の手紙を書く。昨日は古田君と面会した。別に話すべき事のあらう筈がない。馬鹿話をして愉快?に握手して別れた。今日、これから愈々執行になる。行先は未だ告げられない。今朝、近藤君と岩佐君とが面会に来てくれた。十一時すぎだと、もう駄目だつたかも知れない。全くいい時だつた。いい天気だね、今日は秋の彼岸だからな──」

先週は三ヶ月に一度の会議や月に一度の会議がなぜか集中し、臨時の会合も含めて四回もありました。土曜は会議の後、知人と飲みに入った店に村山槐多のデッサンが飾ってありました。今週は、そのしわ寄せで日曜朝から今日も仕事です。

中野重治の「五勺の酒」を再読しています。

1925年9月17日〈古田大次郎獄中手記より〉「愈々今日迄だ。明日から外の三君は赤になる。僕は灰色だ。いつ永遠に消えるとも解らぬ灰色だ。人並みに見る浮世の光も今日限り。思へば一寸淋しい気もする。」

「自分の死ぬ事計り考へてゐる所為でか、今日古河君に会つて、『昨日追悼会をやつた。』と聞いた時、誰のか解らなくつて、僕達のにしては莫迦に早いアと変に思つた。で『誰の追悼会?』と聞き返した位だ。」 「大杉の死を決して忘れた訳ではないのに余程頭が…

1925年9月16日「追悼会「来る九月十六日は、大杉君等が殺された第三周年に当ります。就いては、次の如く、同志諸君と共に追悼茶話会を催すことに致しました。御出席を願ひます。

時 九月十六日午後六時 所 労働運動社 費 拾銭 労働運動社」

1925年9月16日「大杉君の命日だ。まだまだ生命がある。今日もいゝ天気だ。しかし、死ぬには余り明るすぎる。前には午前十時頃に死にたいと言つたが、朝の中は如何も暑苦しい、ケバケバし過ぎる感じがして厭だ。矢張り夕方がいゝ。今日の夕方なんか實によくなりそうだ。

心配する事もなし、悲観する事も恐がる事もないから、別に頭の疲れる訳がないのだが、十日からこの方、晩は實際よく眠れる。いつもよりか眠たい位だ。変わった夢も見ない。過去のこれと言つて特別になつかしい事も出て来ず、家のものたちの事も出て来ない。…

1926年9月16日「9月16日、大杉栄追悼会を労働運動社にて行なう。関西にては解散を命ぜられた」

『黒色青年』6号(1926年12月発行) 同紙に関しては以下のサイトがある。http://members2.jcom.home.ne.jp/anarchism/kokushokuseinen.html

1924年9月16日「九月十六日には大杉君、野枝さん、宗一坊の一周年追悼会が、東京、大阪、和歌山、静岡、等各地で行はれた。本号は記事輻輳の為、遺憾ながら其等の盛況を載せ得なかつた。追悼会のあつた各地の同志に、謹んでお詫びします」『労働運動』第六号 1924年12月1日発行

1923年9月16日。大杉栄、伊藤野枝、橘宗一虐殺さる「戦友の死「大杉栄、伊藤野枝両君が、去る九月十六日、橘宗一君と共に東京憲兵隊本部で虐殺された事は、既に諸君の熟知せるところである。

同志諸君! 我等が常に、友人として、先輩として、且つはまた我等の有力なる同志として、相励まし相親しんでゐた大杉、伊藤の両君は倒れた。我等の運動の尊き犠牲として、遂に我等の戦線に倒れた。我等は両君の死によつて、まことに償ふべからざる大なる寂寥…

1919年9月15日。午後7時より小石川区指ヶ谷町92番地乙号若林ヤヨ方に開催せる北風会例会に於いて本名<大杉栄>は北風会会名変更竝に組織に関し左の討議を為せり。

原案として • 本会を東京労働同盟会と称す • 自主的労働運動を促進するを以て目的とす • 又労働運動の研究を為し実際運動に従事する事 • 常任幹事の件<入力者による略>原案に付き説明を為し之れを要請したる 名称に於て異論あり ■東京労働運動同盟会と修正…

1915年9月15日。平民講演会が開催される。小石川水道端町佛蘭西文学研究会場 参会者大杉栄、共16名、雑談。

渡辺政太郎「赤羽一の著述にして去る1910年発売頒布を禁止せられたる小冊子『農民の福音』二三冊つつ山鹿泰治は過日秘密に出版したるストライキの話一枚つつを配与し又千賀俊蔵が携帯せし写真器械にて一同を撮影して散会せり」 『火の山──山猿記・上』津島佑…

1925年9月14日和田久太郎書簡「いよいよお別れだ…」労働無運動社宛「川口慶介君 いよいよお別れが来た。

燕去り、雁来り、蟲地中に入り、久太赤煉瓦の底に余生を投ず、か。」奥山伸宛、望月桂宛。和田久「下獄」寸前に書簡を発信 [読書]『火の山──山猿記・下』津島佑子著、「作品に一部引用させていただきました」として『獄窓から』和田久太郎、改造文庫、1930。…

転載。『戦後在日五〇年史 在日』

「 “在日”って一体何なんだっていうね。国籍なのか血なのかルーツなのか、それら全部なのか。時が経つごとに見えにくくなっている」(呉)解放から50年に及ぶ在日の歴史をまとめた、二部構成の壮大な作品。前半「歴史篇」は、膨大な映像資料、証言をもとに年…

転載「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー山形in東京2006」大歩向前走(前を向いて大きく歩こう)—台湾『全景』の試みhttp://www.cinematrix.jp/dds/program/taiwan_fullshot/

「台湾フルショット」特集内特集として、YIDFF2005の「大歩向前走(前を向いて大きく歩こう)——台湾『全景』の試み」から4本『天下第一の家』『梅の実の味わい』『部落の声』『三叉坑』上映します。 中東零年。http://www.cinematrix.jp/dds/program/middle_…