1915年9月15日。平民講演会が開催される。小石川水道端町佛蘭西文学研究会場 参会者大杉栄、共16名、雑談。

渡辺政太郎「赤羽一の著述にして去る1910年発売頒布を禁止せられたる小冊子『農民の福音』二三冊つつ山鹿泰治は過日秘密に出版したるストライキの話一枚つつを配与し又千賀俊蔵が携帯せし写真器械にて一同を撮影して散会せり」
『火の山──山猿記・上』津島佑子著より「大正13年(1924──P)に陸軍大将を狙撃しようとして失敗し、無期懲役の判決を得て、昭和3年(1928──P)に満35歳で秋田刑務所内で首を吊って死んだこの和田久太郎という人物に、兄はかなりの親愛の情を持っていたらしい。東京でいつだったか、兄と歩いているときに、ある本屋で、この二階に和田久太郎が仲間とよく集まっていたんだぞ、お前に渡したあの本の作者さ、渡辺政太郎っていう甲州の人がアナ(アナルシストのこと──P)たちの指導をしていたんだ、ここはそういう名所なんだから、しっかりとおぼえとけ、と兄に云われたことがあった。中学生の頃に、兄は大杉栄たちを殺した甘粕事件を知り、かなりの衝撃を受けたのだったろう。……」
註 兄というのは有森家の長男。パーレン内は小説の設定で、パリにいると思われるパトリスへの補足。
和田久太郎の秋田刑務所からの書簡は当ブログ
http://d.hatena.ne.jp/futei/20060224
http://d.hatena.ne.jp/futei/20060223
http://d.hatena.ne.jp/futei/20060222 和田久の死
http://d.hatena.ne.jp/futei/20060220 堺利彦と和田久
http://d.hatena.ne.jp/futei/20060219/1140298180 和田久の『労働運動』紙執筆リスト