2007-06-01から1ヶ月間の記事一覧

同じ目録に和田久太郎の額装された「句」も掲載されていました。

本人直筆のようです。萩原の『死刑宣告』と同じ出所なのかどうか判りませんが。季節は異なりますが和田の手紙より。 『獄窓から』和田久太郎大正十四年十二月十三日 漸くの事で此の手紙を書かせて貰ふことになった。九月以来だから、一寸久し振りだ。皆々無…

六月は幸い、久し振りの腰痛だけでダウンせずにすみました。

届いた古書店の目録に萩原恭次郎と他の表現者の協同作品である『死刑宣告』のオリジナルが掲載されていました。98万円の価格。「赤と黒」の時代より後の作品ですが<市ヶ谷風景>を紹介します。 JR市ヶ谷駅から連想をすると地理を間違えます。今も旧町名を残…

1925年6月29日。古田大次郎「獄中手記」より。

空のボンヤリした日だ。しかし、全て夏だ。輝く陽の光。熱い風。焼けた土の臭ひ。 再び僕は夏の太陽を見る。求刑があっても、心は少しも変らない。却つて落付いた位だ。一つは判決にまだ間がある所為なのだ。それにしても、少しは如何がなりさうなものだが。…

『中濱鐵 隠された大逆罪』

表紙は画像とは若干の変更があります。 来週、発行になります。 購入予約受付中。 http://members2.jcom.home.ne.jp/anarchism/tosukina-kai.html こちらのサイトにアクセスをして申し込み、問合わせ、送金等をご確認ください。入会もあわせて受付けますが、…

1925年6月28日。古田大次郎「獄中手記」より。

又「………かたのは、」といふ冠句づきで、昨日の感想を書き残さう。 「うれしかったのは。」和田君がその陳述の中に、「親しくしていた古田君と一緒に死ねれば、これ以上の悦びはない」と言つてくれた事だ。僕は聞いて涙が出た。僕も和田君と一緒に死ねるなら…

1925年6月27日。古田大次郎「獄中手記」より。■6.27 昨日、松谷、中村両弁護士来訪。

「今日は出廷、早いものだ。この前は十六日だつたから十日、間があつた訳だが、すぐ十日位経つて終ふ。今日はいつもよりか心が躍る。うまく喋れればいいがとそれ計り気にかかる。昨夜は、草稿を枕の下に敷いて寝た。今日の仕事を済ませば、もう僕はこの世の…

1925年6月26日。古田大次郎「獄中手記」より。

「最後の陳述草稿」が昨夜ようやくできあがった、中江兆民、僕の「思い出」及び感想録に、友人諸君の偽りなき「古田大次郎観」を添えて貰おうと考えている、...で僕は次の四君にお願いしようと思っている、それは江口渙、近藤憲二、中浜哲、中村高一の四君だ…

古田大次郎、「獄中手記」秋水の漢詩引用。

「昨日布施弁護士が来られた、今度こそ、最後の陳述をなすべき時だから、シッカリやれと激励してくれた」

1908年6月22日。赤旗事件」

◎『東京社会新聞』11号 1908年6月25日発行。 <錦輝館の歓迎会> 開会午後1時、石川君は発起人を代表して開会の辞、西川、堺君の歓迎の辞山口君は来会同志に挨拶、かくて余興に移り、伊藤痴遊君、霞ヶ関の爆裂弾(来島恒喜譚)と題する軽妙なる講談寺尾彭氏…

和田久太郎の法廷陳述『労働運動』第十一号大正十四年七月一日発行

「公判廷に於ける和田久太郎君」「和田君は第二回公判廷にて左のやうに言つた」 1925年6月21日 和田君は第二回公判廷にて左のやうに言つた。 「僕のこの度の行為は、僕が常に抱いてゐる主義思想とは関係なく、一昨年、震災の混乱を利用して『社会主義者鮮人…

別冊。内容。

ついに出現した 中濱鐵の大阪控訴院公判陳述 『中濱鐵 隠された大逆罪』 ギロチン社事件未公開公判陳述・獄中詩篇 ●伝説から史実へ 中濱たち「大阪組」の裁判はなぜ完全非公開とされたのか?中濱は、 なぜ大阪控訴院の死刑判決に上訴しなかったのか?弁護士…

1925年6月19日。雨、物静かな日だ、堺君の『売文集』にある逆徒の死生観を読んでいる。古田大次郎『獄中手記』より。

『熊本評論』26号 1908.7.5発行「最初の」赤旗事件。官憲が制圧されたこの日<1908年6月19日>の報復で三日後の大杉栄たちへの暴圧、「赤旗事件」はひき起こされた<官憲と同志の大衝突>赤旗の擁護 東京三木生報 七面

評論社諸君、昨6月19日我等同志は上野停車場附近に於て、又もや官権との大衝突を起しました、而して事の原因は言うまでもなく、当局俗吏の無法なる干渉、謂れなき圧制、乱暴なる喧嘩仕掛けより起ったのです。 同日は山口孤剣君の仙台より帰り来のを迎える為…

古田大次郎獄中手記より。1925年6月18日。

公判の時、和田君に何か書いてゐるのかと訊いたら、ウン、だが何も書く事はないぢやないかと笑つてゐた。新谷君や倉地君も同じやうな答へをする。して見ると僕だけか知ら、下らぬ事をゴタゴタ書くのは。かう思つたら恥づかしくなつた。 確かに下らぬ世迷言だ…

古田大次郎「獄中手記」1925年6月17日。

二人共に許可したのは滑稽だつた。…全部却下とすると、余り素気ない挨拶になるから、当り障りない証人だけを許可して、勢々色をつけた積りにちがひない。…… 傍聴に多くの友人諸君が来てくれた事は、大いに力強く思つた。江口渙君が珍らしく洋服姿で来てゐた…

1925年6月16日。古田大次郎『獄中手記』

今日は小阪事件の調べだが何だか的のない矢を射るやうで張合ひない。大阪の方がスツカリ済んでゐるのだから、しかし裁判官を相手にせず、傍聴人諸君に話す気持ちで喋口つて見よう。…… 好い天気になつた。自動車が少し心配だが大した事はあるまい。 如何に考…

『トスキナア』別冊、編集が終わり校了直前です。