1925年6月27日。古田大次郎「獄中手記」より。■6.27 昨日、松谷、中村両弁護士来訪。

「今日は出廷、早いものだ。この前は十六日だつたから十日、間があつた訳だが、すぐ十日位経つて終ふ。今日はいつもよりか心が躍る。うまく喋れればいいがとそれ計り気にかかる。昨夜は、草稿を枕の下に敷いて寝た。今日の仕事を済ませば、もう僕はこの世のに用はない。思ひ残す事もさらにない。二十六年の生涯もこれで終るのだ。僕は重荷を下ろしたやうに心安くなるが、唯、友人の刑が気にかかる。中でも倉地君のが一番心配だ。
「友人の刑が気にかかる、中でも倉地君のが一番心配だ」
十一時開廷、劈頭、中村高一君の証人調べあり、次に、僕に対する大阪小阪事件の証拠品調べが澄んで、愈々検事の論告に移った。検事は、僕達の犯罪を、第一に危険極まる爆発物を使用したる点より、[三一文字削除]、第三に多数集合合意の上なしたる点より論じて、以て極刑を科する必要ありとなし、「和田、古田、倉地の3名を死刑、新谷を懲役10年に処せられん事を」求めた。正午休憩、午後再開、和田君の最後の陳述後、松谷弁護士の弁論に入り、それより神道弁護士、布施弁護士の弁論となった、布施氏縦横に弁を振るう事約1時間半、和田君に対する弁護を終えて、夕刻一時休憩、更に続行の筈だったが、裁判所の都合で中止となった、時に午後7時、次回は8月15日<帰監後直ちに記す>
 感想を続けて書かうと思ふが、疲れたし、又、就寝時間になつたからやめる。倉地君に済まなく思ふ心が切だ。<帰監後記。>
■六月二十八日
又「………かたのは、」といふ冠句づきで、昨日の感想を書き残さう。
「うれしかったのは。」和田君がその陳述の中に、「親しくしていた古田君と一緒に死ねれば、これ以上の悦びはない」と言つてくれた事だ。僕は聞いて涙が出た。僕も和田君と一緒に死ねるなら、こんな嬉しい事はない、今、あの言葉を思い出して、どんなに和田君が慕はしいか知れない。
も一つ「うれしかつた」のは帰へる時、外の友人達が十数人僕達の自動車を見送つてくれた事だ。この時位、僕は友人をなつかしく思つた事はない。
も一つ「うれしかつたのは」弁護士諸君が、その弁護士たる位置を離れて、人間としての私情から僕を弁護してくれた事だ。しかし、チョイチョイ、弁論の中に、弁護士としての弁護らしいのがあつたのは、(主として松谷君のにだが)少なからず恐縮した。何れ、最後の陳述の時、それについて述べたいと思つてゐる。
「思ひがけなかつたのは」倉知君に死刑の求刑があつた事だ。和田君のは、実の所、僕は前からさう考へてゐた。兎に角、和田君は殺意を以つて人を傷けたのだから、余程重いだろうと僕には考へられた。それに引かへて倉地君は、殺人幇助位の所だし、谷中の便所爆発にしたつて、元々試験のために行つたのだから、勿論殺人の目的はない。…
■求刑後、いざ帰らうとして立ち上がつた時、和田君は愉快さうな顔をして「一緒に死ねるぜ。」と言つた。僕もさう言ひたかつた所だし、和田君のその言葉が嬉しかつたので、即座に、「さうだ。」と言葉を合わせようとした。が、僕は傍に居る倉地君の事を考へると、如何にも気の毒に堪へなかつた。「僕のために、こんな刑を受けるやうになつて終つたのだ。」かう思つて僕は心が暗くなつた。そのために、和田君に対しても元気のある返事が出来なかつた。和田君は不満に思つたかも知れない。しかし、僕は、倉地君が死刑になるのは済まなく思ふが、和田君が僕と一緒に死んでくれるのを、本当に悦んでゐる。一人で死ぬのは、流石に淋しいが、道連れ(しかもそれが、親しい友達なのだ)があると思ふと、死ぬ事なんか、屁でもなくなつて終ふ。その所為か、裁判所から帰へる道でも、帰へつてからも、少しも淋しさを覚えなかつた。
■今日は午前に外へ出たが、吹く風の快かつた事、実際、気が浮々した。夏なのだ。氷屋も出た。夏帽も通る。僕達は暑い盛りに絞め殺されるのだ。地獄へ行つて釜ゆでになる前触れかも知れない。
■検事の論告が始つた時、僕の胸は意久地なくも、カツカツと躍り出した。その癖、心配よりも恐しさもないのだ。只、訳もなく胸が躍つた。論告が央ばになつた頃、胸はやうやく静かになつた。普段のやうに、否、普段にもまして、愉快に、何かを待ちこがれるやうな楽しい心になつた。愈々最後に、死刑云々の言葉を聞いた時は、ナアンダと思つた。も少し刺戟をうけるだらうと思つてゐたのが、案外だつたのには、詰らなかつた。だが、その後は、心も以前よりズツト落付いた。全く、夏の日に、頭から冷水を被つたやうに、サツパリした。今、僕に絞首台が、尊く清き救ひの手のやうに見える。
 和田君はもう辞世の歌か句かを考へてあるさうだ。僕も、考へておかう。それから墓の銘も。
夕月の影、今の僕の心はそれだ。
今日の夕方も、月を見られるだらう。僕はこの月のやうな一生を送りたかつた。静かに現はれ、静かに落つる。淋しく清きあの夕月、僕の理想の人生は、恰度この月のやうな一生だ。