1925年6月28日。古田大次郎「獄中手記」より。

futei2007-06-28

又「………かたのは、」といふ冠句づきで、昨日の感想を書き残さう。
「うれしかったのは。」和田君がその陳述の中に、「親しくしていた古田君と一緒に死ねれば、これ以上の悦びはない」と言つてくれた事だ。僕は聞いて涙が出た。僕も和田君と一緒に死ねるなら、こんな嬉しい事はない、今、あの言葉を思い出して、どんなに和田君が慕はしいか知れない。
も一つ「うれしかつた」のは帰へる時、外の友人達が十数人僕達の自動車を見送つてくれた事だ。この時位、僕は友人をなつかしく思つた事はない。
も一つ「うれしかつたのは」弁護士諸君が、その弁護士たる位置を離れて、人間としての私情から僕を弁護してくれた事だ。しかし、チョイチョイ、弁論の中に、弁護士としての弁護らしいのがあつたのは、(主として松谷君のにだが)少なからず恐縮した。何れ、最後の陳述の時、それについて述べたいと思つてゐる。
「思ひがけなかつたのは」倉知君に死刑の求刑があつた事だ。和田君のは、実の所、僕は前からさう考へてゐた。兎に角、和田君は殺意を以つて人を傷けたのだから、余程重いだろうと僕には考へられた。それに引かへて倉地君は、殺人幇助位の所だし、谷中の便所爆発にしたつて、元々試験のために行つたのだから、勿論殺人の目的はない。…■
■求刑後、いざ帰らうとして立ち上がつた時、和田君は愉快さうな顔をして「一緒に死ねるぜ。」と言つた。僕もさう言ひたかつた所だし、和田君のその言葉が嬉しかつたので、即座に、「さうだ。」と言葉を合わせようとした。が、僕は傍に居る倉地君の事を考へると、如何にも気の毒に堪へなかつた。「僕のために、こんな刑を受けるやうになつて終つたのだ。」かう思つて僕は心が暗くなつた。そのために、和田君に対しても元気のある返事が出来なかつた。和田君は不満に思つたかも知れない。しかし、僕は、倉地君が死刑になるのは済まなく思ふが、和田君が僕と一緒に死んでくれるのを、本当に悦んでゐる。一人で死ぬのは、流石に淋しいが、道連れ(しかもそれが、親しい友達なのだ)があると思ふと、死ぬ事なんか、屁でもなくなつて終ふ。その所為か、裁判所から帰へる道でも、帰へつてからも、少しも淋しさを覚えなかつた。
■今日は午前に外へ出たが、吹く風の快かつた事、実際、気が浮々した。夏なのだ。氷屋も出た。夏帽も通る。僕達は暑い盛りに絞め殺されるのだ。地獄へ行つて釜ゆでになる前触れかも知れない。
■検事の論告が始つた時、僕の胸は意久地なくも、カツカツと躍り出した。その癖、心配よりも恐しさもないのだ。只、訳もなく胸が躍つた。論告が央ばになつた頃、胸はやうやく静かになつた。普段のやうに、否、普段にもまして、愉快に、何かを待ちこがれるやうな楽しい心になつた。愈々最後に、死刑云々の言葉を聞いた時は、ナアンダと思つた。も少し刺戟をうけるだらうと思つてゐたのが、案外だつたのには、詰らなかつた。だが、その後は、心も以前よりズツト落付いた。全く、夏の日に、頭から冷水を被つたやうに、サツパリした。今、僕に絞首台が、尊く清き救ひの手のやうに見える。
 和田君はもう辞世の歌か句かを考へてあるさうだ。僕も、考へておかう。それから墓の銘も。
夕月の影、今の僕の心はそれだ。
今日の夕方も、月を見られるだらう。僕はこの月のやうな一生を送りたかつた。静かに現はれ、静かに落つる。淋しく清きあの夕月、僕の理想の人生は、恰度この月のやうな一生だ。