2007-03-01から1ヶ月間の記事一覧

1924年3月30日、中浜哲、弾圧逮捕 入手資金確保のため、大阪に戻った中浜は、リャクを行い、実業同志会事務所から出たと ころを恐喝犯として伊藤孝一と共に逮捕される。倉地、逸見吉三も同行していた。

1926年3月29日『大阪朝日新聞』〈恩赦も知らぬ獄中の朴夫妻 きのうきょうの生活は?流石に夫を案ずる文子

判決後4日間…このごろの彼等への差入は、朝鮮からはるばる出てきた晋直鉉弁護士が食事の全部を負担し差入ているが、朴は朝は牛乳1合にパン1片、昼は三十五錢の弁当、夜は官弁という質素な食事に反して、文子は朝は鶏卵2つに五十錢弁当に特に許されて菓子が添…

一九二六年三月二六日付(前日発行)『東京日日新聞』夕刊。朴烈夫妻は死刑大審院でけふ判決朴烈事朴準植その妻金子文子両名の最後の審判の日が来た、廿五日の大審院界隈は東のまだ白まぬ頃から押しかけた傍聴人が午前六時頃までに三百余名、百余名の日比谷署員や憲兵がこれを整理し八時から入廷開始、長髪、ルパシカ、赤ネクタイなどの鮮人を初め栗原一夫、後藤学三、武良二、木下茂など朔風会、自然兒、解放戦線などの面々が八分通りを占め特別傍聴人の中には白根男、加賀谷皇宮警察部長などが見える。

九時十二分被告両名が文子を先に入廷する、文子は矢がすりの銘仙の袷にすゝき模様のメリンスの羽織、束髪をダラリとくづし金ぶち眼鏡の奥からうるんだひとみをキヨロつかせてゐる、朴は白リンスの朝鮮平服、ピカピカする頭髪をトンボのやうに真二つに分けて…

1926年3月25日。金子文子・朴烈への大審院有罪判決、死刑

被告朴準植は日韓併合の真相を解せず被告金子文子は矯激なる偏見に囚はれ肯謀りて畏くも皇室に対する大逆事犯を企画し因て以て光輝ある我国史に一大汚点を印したる其の罪責は極めて重きものと謂はざるべからず法律に照すに被告両名の前示すの如く皇室に危害…

1911年3月24日。神楽坂倶楽部にて同志茶話会が開かれ大杉栄、出席

「春三月縊り残され花に舞う」 の句を読む

知人が病院での検査を終え、介護老人施設に移る。

転載。自著を語る『水平の行者 栗須七郎』9 最終回 廣畑研二

http://journalist-net.com/home/07/03/19/004345.php 最後に、栗須顕彰碑について付記しておこう。栗須の顕彰碑が、没後40年以上にわたって、計 6 基も熊野の結界を示すかのように建立された、……栗須の顕彰碑は、もう 1 基ある。那智妙法山阿弥陀寺境内にあ…

1926年3月20日。大阪市此花区吉野町2丁目55に自我声社が生まれた。機関紙『自我声』創刊号を3月20日創刊した。『黒色青年』第1号消息欄。原本複写より確認。『自我声』(「CHIGASEI」と欄外にローマ字標記)創刊号 李春禎? 在大阪の朝鮮アナキストが発行「強者の宣言」朴烈、ほとんど伏字。後に『叛逆者の牢獄手記』に所収の同タイトルのテキストか? 「朴烈特別公判」朝鮮礼服に身を飾り朴烈事朴準植法廷に立つ 傍聴禁止 2月106日午前9時大審院法廷で開廷された。…この日鮮人及主義者検束10数名、警戒の厳重な

1924年3月20日中浜哲、弾圧逮捕 入手資金確保のため、大阪に戻った中浜は、リャクを行い、実業同志会事務所から出たと ころを恐喝犯として伊藤孝一と共に逮捕される。倉地、逸見吉三も同行していた。(「逮捕」時は離れた地点にいたので免れている)

転載「ジャーナリストネット]自著を語る『水平の行者 栗須七郎』8廣畑研二●本書の成り立ちと構成

本文中より一部紹介<本書の表題デザインのこと。黒地に白抜きで表した「水平の行者」という文字は、活字ではなく手書き文字である。その原型は、幻の初版広告デザインをなぞったものである。その広告は、朴烈(パク・ヨル)・金子文子主幹雑誌『現社会』(1…

転載 自著を語る『水平の行者 栗須七郎』7廣畑研二●ハングル版『水平宣言』アクセスは「ジャーナリスネット」へ。トhttp://journalist-net.com/home/07/03/17/011147.php

写真:朝鮮衡平社機関誌『正進』1929年5月

『トスキナア』誌編集会議。自転車にて往復。

11日に上映された『緑的海平線Shonenko』をめぐる主観的メモ。抜けている部分もあります。

2006年度日本大学人文科学研究所共同研究「近代東アジアにおける文学・演劇・映画の交差をめぐって」 監督自身の発言。 「郭亮吟監督、家族史、アルミ製の釜、鍋を祖父が日本の飛行機の材料を買い取り台湾で生産していた。98年アメリカに留学、故郷への思い…

転載。自著を語る『水平の行者 栗須七郎』6

廣畑研二「ジャーナリストネット」 http://journalistnet.com/home/07/03/12/005947.php 2007年03月12日掲載。 ●同時代の対検閲闘争 本書で明らかにした、栗須による対検閲10年闘争史は、個人史研究という成果にとどまらず、水平運動史研究そのものを見直す…

転載。自著を語る『水平の行者 栗須七郎』5 廣畑研二

2007年03月11日「ジャーナリストネット」掲載http://journalist-net.com/home/07/03/11/075724.php●偽りの声は大きく真実の声は小さい ただし、戦後研究者の中でも、1 人だけは名指しで批判しなければならない。北川鉄夫である。北川は、戦前期にプロレタリ…

転載。『緑的海平線Shonenko』上映会。

2006年度日本大学人文科学研究所共同研究 「近代東アジアにおける文学・演劇・映画の交差をめぐって」 「ドキュメンタリーフィルム上映と監督講演」のご案内 今年度共同研究の一環として,以下の日程で台湾の歴史や社会を扱っ たドキュメンタリーフィルムを…

転載。自著を語る『水平の行者 栗須七郎』4 廣畑研二

http://journalist-net.com/home/07/03/10/011031.php 上記ジャーナリストネットには写真=「水国奈良県警察部」ー水国争闘の予審終結後にまとめられた奈良県警察部の調書 1997年警察庁移管もアップされています。アクセスを。 冒頭引用「● 2 つの発見。警察…

『トスキナア』五号制作中。4月発刊。一部目次

20世紀の証人 カール・米田 廣畑研二 資料 『シムーン』『熱風』目次・解説 大和田茂香具師と社会主義運動考ノート その四 猪野健治日本の初期エスペラント運動と大杉栄らの活動2 手塚登士雄巴金とエマ・ゴールドマン 2 山口 守ルイズ・ミシェル訪問 上 堀…

井家上隆行さん、Hさんと9時間近く懇談。近く刊行する『中濱鉄資料集』をめぐる話。

モラレス・ボリビア大統領、6日、東京都内で講演「新憲法で戦争を放棄する」「軍隊なしで人命を救える。武装放棄しながら、社会的な戦いを続ける」

「戦争は解決策にならない」「唯一の良かった戦争である独立戦争でも、混血の人たちや先住民の人命が失われた」と語る。 安倍と首相官邸で会談、「ボリビアは日本のような大国ではないが、似た点もある。人々が手に手を取って平和に生きる社会。そういう観点…

1926年3月6日。中浜哲、大阪控訴院死刑判決となる。中浜は裁判長に「私の上訴権は放棄」と告げる。

冒頭転載。自著を語る『水平の行者 栗須七郎』すでに連載三回目。トップ頁から「文化」のコンテンツにアクセス。四回目は10日にアップとのこと。http://journalist-net.com/home/07/03/05/003315.php

●警察資料の探索 さて、水平運動初の発禁文書『水平社とは何か』は、未だに原本が出現しないけれども、テキストは辛うじて残されていた。内務省警保局調書に、発禁リーフレットの本文…続きは「ジャーナリスト・ネット」にアクセスをしてください。

冒頭転載。自著を語る『水平の行者 栗須七郎』1廣畑 研二●栗須の思想は栗須に聞くべし

栗須研究を思い立って鄭承博(チョン・スンバク)先生にインタビューしたのは、7 年前のことになる。戦時下の大阪西濱で、朝鮮人少年を擁護・育成した寺子屋「水平道舎」がなにゆえに存在しえたのか?全国水平社はおろか、あらゆる社会運動が閉塞させられた…

自著を語る『水平の行者 栗須七郎』2廣畑研二

下記ジャーナリストネットのサイトには写真もアップされています。1923年秋撮影、撮影地 大阪西濱 左:筆禅の書仙 横山雪堂、右:水平の行者 栗須七郎 横山筆「神人不二」(神と人は二つならず) ●狭くて遠い道を歩むべし http://journalist-net.com/home/ca…

『黒色青年』誌七号発行1927年3月5日『黒色青年』誌七号「消息」欄

<自我人社発行の金子文子氏著『獄窓に想ふ』は印刷中差し押さえられ発売禁止さる> <昨年六月静岡県知事官舎放火事件の関西黒旗連盟員植田増吉は懲役二年の判決、関谷、林両君は無罪で一月十七日出獄した。> <千葉野戦重砲兵隊に苦役中の小澤一君は台湾…

多摩川の最初の一滴、水干神社を訪ねる。多摩川源流部、笠取山の周囲は積雪30,40cm。スノー・ハイキング。行動5時間。

宮崎晃著『差別とアナキズム──水平社運動とアナ・ボル抗争史──』より第六章 アナ『全水解放聯盟』の結成と活動

1925年10月「全水青年聯盟」第一回協議会開催、京都の全水水平学校講堂 1926年8月28日全水有志大会現神戸市で開催(部落問題研『水平運動史の研究』年表篇) 1926年10月「全水解放連盟」の創立(「大原労働年鑑説」)宮崎「人によつてはこれが創立準備会ではなく…

金子文子「私は大正8年中朝鮮に居て朝鮮の独立騒擾の光景を目撃して、私すら権力への叛逆気分が起り、朝鮮の方の為さる独立運動を思う時、他人の事とは思い得ぬ程の感激が胸に湧きます」