読書
1925年10月「全水青年聯盟」第一回協議会開催、京都の全水水平学校講堂 1926年8月28日全水有志大会現神戸市で開催(部落問題研『水平運動史の研究』年表篇) 1926年10月「全水解放連盟」の創立(「大原労働年鑑説」)宮崎「人によつてはこれが創立準備会ではなく…
実は14,5名の青年の集まりであるらしい。…幹部の北一輝君は、数年前『純正社会主義』及び『国家論』という著述を出して、発売禁止をうけ、その後久しく中国に行っていた人物だ。『大眼目』は、北君の書いたもので、署名は何故か角田清君[←原文のママ・清彦]…
第二章 平野小剣の行動と限界──平野小剣アナキスト説の誤謬── 一 深川武による水平運動の分類 二 平野セクトの成立と衰退 三 平野小剣と自伝『水平運動に走るまで』 四 小剣を訪れた社会運動への転機 五 平野アナキスト説の誤謬 六 信友会における普選派の消…
一 初期水平社創立と世良田事件 「関東水平社」結成の源泉となったものは、ふたつあって、ひとつは、全水の栗須七郎が、全水創立の年、オルグの目的で、群馬県[]に住む、独学力行のひとで、十六年間、県内、東京、山梨などで教員、校長を歴任、教職をしりぞ…
「親友中濱哲君に送る。 今日、大阪の裁判所から通知があつて、僕の小阪事件はこゝで審理する事になつたのを知つた。大阪に行けたら、君達に会ふことが出来たのだが、今はれも駄目になつて終つた。僕はもう君と会ふ事はあるまい。…どうか此の手紙を読んでく…
仮題、予価三千円 100頁 六月刊行 廣畑研二氏発掘「史料」トスキナア編集委員会刊行 80年間、埋もれていた中濱鐵の大阪控訴院陳述が今、あきらかになる 中濱鐵が「四日にわたつて供述した」「控訴審では陳述するものと思はれたが果して二十八日の公判では驚…
■我等の仲間とゴロゴロするやうになつてから、…中濱と僕とは違つてゐた。村…木君や新谷君は綺麗好きだつた。蛇窪の家なぞは、二人がゐる時はよく拭掃除してくれたものである。. …4.14 ■「畑の菜が雨でよく伸びた。みんな元気のいゝ花を付けてゐる。あれなら…
『中濱鐵 隠された大逆罪』購入をお願いします!!──アナキスト詩人 中濱鐵の詩作と公判陳述── 仮題、予価三千円 100頁 六月刊行 廣畑研二氏発掘「史料」トスキナア編集委員会刊行 80年間、埋もれていた中濱鐵の大阪控訴院陳述が今、あきらかになる中濱鐵が「…
新雑誌「ripresa リプレーザ」発刊にあたって 「一つの世界空間」が生じて後、「不均衡な一つの言葉世界」が生じてしまったと強く感じる。2006年夏、アメリカ〈帝国〉を後ろ盾に、イスラエルによるパレスチナで、そしてレバノンでの蛮行が、国家テロリズムで…
http://journalist-net.com/home/07/03/19/004345.php 最後に、栗須顕彰碑について付記しておこう。栗須の顕彰碑が、没後40年以上にわたって、計 6 基も熊野の結界を示すかのように建立された、……栗須の顕彰碑は、もう 1 基ある。那智妙法山阿弥陀寺境内にあ…
本文中より一部紹介<本書の表題デザインのこと。黒地に白抜きで表した「水平の行者」という文字は、活字ではなく手書き文字である。その原型は、幻の初版広告デザインをなぞったものである。その広告は、朴烈(パク・ヨル)・金子文子主幹雑誌『現社会』(1…
写真:朝鮮衡平社機関誌『正進』1929年5月
廣畑研二「ジャーナリストネット」 http://journalistnet.com/home/07/03/12/005947.php 2007年03月12日掲載。 ●同時代の対検閲闘争 本書で明らかにした、栗須による対検閲10年闘争史は、個人史研究という成果にとどまらず、水平運動史研究そのものを見直す…
2007年03月11日「ジャーナリストネット」掲載http://journalist-net.com/home/07/03/11/075724.php●偽りの声は大きく真実の声は小さい ただし、戦後研究者の中でも、1 人だけは名指しで批判しなければならない。北川鉄夫である。北川は、戦前期にプロレタリ…
http://journalist-net.com/home/07/03/10/011031.php 上記ジャーナリストネットには写真=「水国奈良県警察部」ー水国争闘の予審終結後にまとめられた奈良県警察部の調書 1997年警察庁移管もアップされています。アクセスを。 冒頭引用「● 2 つの発見。警察…
●警察資料の探索 さて、水平運動初の発禁文書『水平社とは何か』は、未だに原本が出現しないけれども、テキストは辛うじて残されていた。内務省警保局調書に、発禁リーフレットの本文…続きは「ジャーナリスト・ネット」にアクセスをしてください。
栗須研究を思い立って鄭承博(チョン・スンバク)先生にインタビューしたのは、7 年前のことになる。戦時下の大阪西濱で、朝鮮人少年を擁護・育成した寺子屋「水平道舎」がなにゆえに存在しえたのか?全国水平社はおろか、あらゆる社会運動が閉塞させられた…
下記ジャーナリストネットのサイトには写真もアップされています。1923年秋撮影、撮影地 大阪西濱 左:筆禅の書仙 横山雪堂、右:水平の行者 栗須七郎 横山筆「神人不二」(神と人は二つならず) ●狭くて遠い道を歩むべし http://journalist-net.com/home/ca…
1925年10月「全水青年聯盟」第一回協議会開催、京都の全水水平学校講堂 1926年8月28日全水有志大会現神戸市で開催(部落問題研『水平運動史の研究』年表篇) 1926年10月「全水解放連盟」の創立(「大原労働年鑑説」)宮崎「人によつてはこれが創立準備会ではなく…
エロシェンコ、那須温泉、和田久太郎、大杉栄の告別式、1924年1月10日、丹沢地震、中浜の朝鮮での爆弾の入手、173頁古田の笹塚来訪。一月も終わりに近い日、朝鮮から戻り東京駅についたばかり、江口と古田大次郎との会話「摂政の宮をやる話」 174頁「やりそ…
一 初期水平社創立と世良田事件 「関東水平社」結成の源泉となったものは、ふたつあって、ひとつは、全水の栗須七郎が、全水創立の年、オルグの目的で、群馬県[]に住む、独学力行のひとで、十六年間、県内、東京、山梨などで教員、校長を歴任、教職をしりぞ…
第二章 平野小剣の行動と限界──平野小剣アナキスト説の誤謬── 一 深川武による水平運動の分類 二 平野セクトの成立と衰退 三 平野小剣と自伝『水平運動に走るまで』 四 小剣を訪れた社会運動への転機 五 平野アナキスト説の誤謬 六 信友会における普選派の消…
1887年7月20日-1975年1月18日 東京麹町生まれ。作家、文芸評論家。「大正」の始まりと共に文壇登場、社会派としての作家活動に収まらず、古田、中浜たちの「テロリズム」にロシア・ナロードニキや大逆罪で処刑された管野すがたちを想い、側面から支援する。…
「抹殺社」1921年1月結成、久保田順、加藤昇は平野小剣らの「立憲労働党員」。『労働運動』1921年3月20日第七号、「抹殺社一味」<2,3ヶ月前から大道で呼売りしていた『大眼目』という小冊子を見ると、かれらの主張がわかる。それは、一種の国家社会主義だ。…