1925年4月27日古田大次郎『獄中手記』

「親友中濱哲君に送る。
今日、大阪の裁判所から通知があつて、僕の小阪事件はこゝで審理する事になつたのを知つた。大阪に行けたら、君達に会ふことが出来たのだが、今はれも駄目になつて終つた。僕はもう君と会ふ事はあるまい。…どうか此の手紙を読んでくれたまへ。
中濱君。大正十一年の二月、初めて言葉を交わした、蓮田の小作人社であった、長島新…」
■「あの偶然こそは、君と僕とを、正しい生活に入らしむる貴重な鍵であつた。至純の生の門を開かしむる貴き鍵であつた。さうだ。あの時から僕の生活は一変した。君の生活も一変した。僕達二人は救ひの道に這入つたのだ。僕は如何なに、あの偶然に感謝したことだらう。」
■大正十一年四月初め
■「更に僕は、月夜の月島の渡しを思い出す。あの時の月は綺麗だつた。水にキラキラと輝いてゐる様は、陳腐な言ひ草だがまるで夢のやうだつた。僕は今に至るまで、あの夜の月の美しさを忘れない。」
■中濱君。
■「その晩二人は、富川町の木賃宿に泊まつた。」 
■しかし、この時は流石に泣かなかつたが、あの東禅寺では遂々泣き出して終つて、君に迷惑をかけたつけね。だつてあの時は本統に悲しかつたのだ。」
■中濱君。
■「その春以来君と僕とは、兄弟も只ならぬ程のした親しい交を結んだ。そして、扶け合ひ慰め合つて、寂しい道を共に歩んだ。」
朝鮮京城で君を迎へて以来、まるで煙のやうに消えて終つた。僕はあの朝の事を今に忘れぬ。又あの時、君の面に浮んだ淋しい笑ひは、今でも僕の眼の前に見える。あの時の二人の心は、全く否でも応でも溶け合はねばならなかつたのだ。二人の心が全く隙間のない位に、否、全く一つのものに溶けたのは、後にも先にも、あの時、あの場所より外になかつたと僕は信じてゐる。東禅寺前で君が泣いてくれた時は、僕の心はまだ落付きがなかつた。腰が据つてゐなかつた。僕の心が余り激しく動いてゐた。そのために一つにかたまる余裕がなかつた。あの時は、──あの京城の冬の朝は、二人とも、心はさながら深い淵のやうに静かで淋しかつた。二人は到底一緒にならざるを得なかつたのだ。」
■中濱君。村木君は空しく志しを抱いて斃れて終つた。和田君は不幸にも捕へられ 
■中濱君。「まだ書きたい事があるが、…
■「死は自分の恋を完成させるものだ。…」
■「一切の真理に囚われざるもの、これが自分の所謂虚無主義者。
「父と子」の最後の一節…無限の生命とを語る。