2008-08-01から1ヶ月間の記事一覧

1925年8月31日。火曜日晴。古田大次郎獄中手記より「如何なものになつたろう……」

「…何ぼ僕が空想家だつて、見す見す破滅に陥るやうな道には行きはすまい。」 古田大次郎、中浜哲、ギロチン社

1922年 8月27日。<自由労働者同盟生る> 毎朝未明から『人市』が東京の方々にたつ。数千の労働者が羅漢様のように突っ立って労働力の取引をする。……イワユル『立ちん坊』自身の固い団結を作るろうぢゃないかと云う話しは、毎朝突っ立つ『人市』の『たまり』での、何時からかの、宿題だった。その話は次第に熟して行った。数度の協議の後、8月27日に富川町の四畳半ぽっきりの家で、各『たまり』からの20数名の発起人の手によって、ここに後記の宣言、綱領、規約をもつ『自由労働者同盟』が成立した。富川町の坂野兄弟、堀川久、三河

宣言………自由労働者組合 綱領……… 規約………本同盟は、富川町部、花町部、三河町部、朝鮮部よりり成り当本部を深川区富川町21番地に置く。『労働運動』第7号 1922.9.10

戦争史跡・東京湾館山編

アナキズム運動史]1908年8月22日。<赤旗事件公判(承前 金曜社旧同人筆記)> 公判第二日。 堺利彦証言、荒畑寒村証言「大杉栄と共に暴行を受ける」 『熊本評論』30号 1908.9.5発行 一面三面五面一面 午前……検事の論告……… 8月22日午前9時東京地方裁判所に於…

1925年8月19日。古田大次郎、獄中手記

「晴。運動場の隅に生えてる雑草──ほんの二、三本だが、その雑草が、雨の降る度に、眼に見えて大きくなる。」 山崎弁論批判「僕を真実に知り、そして愛してくれるならば、弱い僕に力を与えて安らかに死なせて貰ひたい。徒に生命を助けようなどと骨を折るのは…

一九四八年八月一五日『新朝鮮革命論』朴烈、中外出版株式会社

目次自序第一章 思想立国第一節世界は一なり第二節 現実に徹する思想第三節 共産党を語る第四節死に生くること第二章建国の指標第一節独立とは形式ではない第二節具体的に建国の立地条件を究めよ第三節戦線統一への方向第三章青年と民族の運命第一節立国の支…

1908年8月14日 

幸徳秋水「翌日からの赤旗事件公判傍聴のため東京に戻る。同夜、豊多摩郡淀橋町柏木に住み平民社とする。熊本評論をやめた坂本清馬が住み込み、森近運平も合流」

1922年8月10日。『黒濤』第二号発行される。

「此の態を見て呉れ」烈生 「思ったこと二つ三つ」ふみ子 「東支線駐屯の日本軍」烈生 「ボロ長屋の二階から」金子文子 「朴烈から」 「朝鮮光州に印刷職工の罷業」烈 「栄養研究所所長佐伯博士に」ふみ子

瀬戸内海の夜明け

チャガチル市場・釜山

夜間の関門海峡

ムンギョン金子文子墓碑

刑死者は出ませんでしたが不逞社、黒友会へ関わった同志たちが過酷な獄中生活を経て病死しました。すでに記しましたが新山初代は危篤状態で釈放され一一月二七日未明死去、二二歳でした。 洪鎭祐は不逞社、黒友会に参加していましたが予審免訴になり二四年夏…

ムンギョン市郊外