2006-03-01から1ヶ月間の記事一覧

和田久太郎、堺利彦宛書簡

<久太と渋六 日なたぼっこの会の約束>堺利彦「和田久太郎君が去年以来、監獄から私によこした手紙を集めて、繰り返し読んで見た。 そこに『久太と渋六』の面影が(少なくとも私にだけは)非常に面白く現れている。 以下、それを抄録して見る。 <母を懐う…

1924年3月30日

「中浜哲逮捕される。活動資金確保のため、大阪に戻った中浜は、リャクを行い、実業同志会事務所から出たと ころを恐喝犯として伊藤孝一と共に逮捕される。倉地、逸見吉三も同行していた」小松隆二の調べによると実業同志会事務所は「大阪市西江戸堀南通り一…

1927年3月29日

「福田大将狙撃事件に関連して東京の豊多摩刑務所に収容されていた。逸見吉三君は去る3月29日無事出獄した」 逸見吉三は1903年生まれ。(父親の逸見直三は1899年に労働者として単身渡米。IWWの活動や労働先駆者団の活動を知る。1909年以前に大阪に戻り、1914…

「トスキナアの会」のサイト更新

ウェブサイトのデータ容量の都合で更新をしていませんでしたが、三号の内容予告、関連リンク、「トスキナア講座」のお知らせをアップしました。 http://www.ocv.ne.jp/~kameda/tosukina.html

『はなかみ通信』其の十六通

印刷も含めて手作りのA5判80頁の冊子。鶴見俊輔さんの詩が毎号掲載。06年3月15日発行。

『自我経』スティルネル著 辻潤翻訳

昨日、改造社刊の元版を廉価で古書店より入手。背の状態は悪いが本体と箱の状態は普通。 辻潤が英語版から翻訳し1921年に初版が刊行されている。本書は25年刊の数版め。この後、改造文庫版になった時は『唯一者とその所有』と原題に直されている。ざっと流し…

「トスキナアの会」第三回講座 5月14日(日曜)午後一時半 

テーマ「中浜哲とギロチン社群像」詩人であり山を歩き、アナキストを描写する正津勉さんが講師です。場所は品川駅近く

1926年3月26日「金子文子に会いに上京した母親」飯田徳太郎

飯田徳太郎に関しては名前があげられるわりにはその活動はあまり知られていない。詩に関しては丹念に掲載誌をあたれば少しはまとまるかもしれない。飯田が書き残した数少ない文の一つが以下の市ヶ谷刑務所での面会の情景、金子文子の母親を描写したものであ…

1926年3月25日金子文子・朴烈へ大審院判決

理由 被告準植は其の幼時より受けたる環境の影響、民族の現状に関する不満の念よりして偏狭なる政治観及社会観に陥り遂に地上の万類を絶滅し自己亦死するを以て究極とする其の所謂虚無主義を抱持するに至り此の思想を実現せしむる為我皇室に対し危害を加ふる…

1911年3月24日 

「春三月 縊り残され 花に舞う」 神楽坂倶楽部にて同志茶話会が開かれ大杉栄は句を詠む。 幸徳秋水を始めとして多くの同志は二ヶ月前に絞首されていた。大杉栄は赤旗事件にて不当な懲役刑により千葉刑務所に収監、秋水たちへの弾圧後は官憲より関連した調べ…

半蔵門・永田町

二十数年振りに最高裁判所に傍聴のため入る。国を被告とした民事訴訟の判決があるということで南門から入る。新築された当所から砦のような構造という印象だが傍聴人に対しては開かれていないことは相変わらず。職員が無線で連絡を取り合い、かってに内部を…

1926年3月23日 金子文子・朴烈、結婚届けを出す

この届けは死刑判決を前提とし、二人の遺体引取り便宜のため。布施辰治の以下のテキストが明らかにしている。「ニヒリストの最後に、死を急いだ朴烈文子は其の遺骸の覚悟に関し、当時、文子の父も母も之を引取って呉れやうとは思はれず、又引取って呉れやう…

『諧調は偽りなり』瀬戸内晴美著 其の弐

11 一七年二月十九日、市子第一回公判、秋田雨雀「自伝」がこの日の模様を伝えている。三月二日検事論告、三日後に四年の懲役刑、控訴、三月七日市子は保釈、宮嶋資夫の家に引き取られる 12 大杉栄と伊藤野枝には、村木源次郎が側にいる、巣鴨宮仲町に借家を…

当ブログに追記。

3月20日、13日 http://d.hatena.ne.jp/futei/searchdiary?word=%2a%5b%c4%c9%b5%ad%5d 久し振りに丸一日自宅にいる予定。夜は井家上隆幸さんと懇親会。

1928年3月21日「和田久太郎君の追悼会」

和田久太郎君の追悼会は3月21日於神田松本亭にて開催された。『黒色青年』17号4月5日「獄死せる和田君の面影」 http://www.ocv.ne.jp/~kameda/wada.html 1928年4月『黒色青年』掲載 彼の勇敢なる行動と彼れの捨石的努力を我等のものとして生かせ! 各地の同…

≪社会評論社の著者≫より転載http://www.shahyo.com/whos1.html

池田浩士(いけだ・ひろし) 1940年大津市生まれ。1968年から2004年3月まで京都大学勤務。2004年から京都精華大学勤務。著書:『似而非物語』(序章社、1972年)、『初期ルカーチ研究』(合同出版、1972年)、『ルカーチとこの時代』(平凡社、1975年)、『…

池田浩士さんの書評紹介ブログ

「ニュルンベルク・インタビュー」日経新聞書評(23面)「Lucy への伝言」↓ http://d.hatena.ne.jp/hidehi/20060108 『ヒトラー 最期の12日間』著者ヨアヒム・フェスト,岩波書店、05/06/「yabuDK note 不知森の記」http://d.hatena.ne.jp/yabuDK/20050724 上記…

18日は総会、講演会の後、懇親会となる。たまたま袴田救援会<無実の元ボクサー、再審請求>の人たちが同じ会場の別フロアで懇親会。のぞくと久し振りの知人も参加していた。その方は自身も70年代に爆発物取締罰則違反と殺人罪でフレームアップされ、投獄も…

『現代短歌と天皇制』内野光子 其の弐

第二章<歌会始と現代短歌>「祝歌を寄せたい歌人たち」の「(四)祝歌、祝意を寄せた歌人たち」において道浦母都子の「結婚の儀」報道におけるコメントを分析、批判をしている。道浦のコメントは93年六月十日『朝日新聞』掲載。 内野は「<短歌>という短詩型…

池田浩士さん講演を聴く。 「ナチス時代を体験したドイツ『国民』の多くが、『ヒトラー時代は良かった』という思いを抱いていたことも歴史の事実である。」 西ドイツでの戦後のアンケートにおいて、上記の回答が一定の割合で存在したことから語り始める。 「…

『大正・昭和教育の天皇制イデオロギー』──Ⅱ学校行事の軍事的・擬似自治的性格 山本信良、今野敏彦著 1986年新装版発行 新泉社刊 7,000円

「大正・昭和期運動会の国家主義的・軍国主義的体質」明治38年9月、日露戦争後に、その戦勝を祝賀する陸軍記念日と海軍記念日が設けられた。陸軍記念日は奉天占領の日の三月十日、海軍記念日はバルチック艦隊を撃破した日本海海戦日の五月二七日とした。…以…

『諧調は偽りなり』其の弐

内容、要旨(章ごとに) 1 瀬戸内晴美に甘粕評価の揺らぎが内在化され当初は虐殺まで描くつもりの『美は乱調にあり』を日陰茶屋事件で中断させた。京都の料亭の女将が所持していた甘粕の手紙との出会いがあり『美は乱調にあり』の後編を書く時が熟した 2 大…

『トスキナア』三号編集委員会

6時から9時近くまで打ち合わせ。今号は150頁前後になる。4月15日発行予定。

再掲載・講演会、池田浩士さん

管理された社会と権力からの弾圧・逮捕攻撃に抗するため救援連絡センターを強化し よう。運営を支えて行くための『救援』紙の定期購読と財政支援をお願いします。 ●救援連絡センター第2回総会 とき◆3月18日(土)13時〜17時 ところ◆文京区民センター…

午前の気温の上昇に誘われて、いつも降りる駅の一つ先で下車。駅前に「ブック・オフ」があり客の出入りも頻繁なのでつられて入る。 105円コーナーで瀬戸内晴美『諧調は偽りなり』87年文春文庫を発見。カバーは横尾忠則。 瀬戸内が81年1月から83年8月にかけて…

13日夕方、品川駅前に佇む、阿部定が逃亡後に宿泊したホテルは相当以前に解体され、駅前の様相も変遷があるが元々から「盛り場」では無いだけに昔の景観が想起されやすい。

駅の反対側は畜肉処理場と埋立地に工場が散見されるロケーションであったのが高層ビルが並びたっている。江戸時代の薩摩藩下屋敷跡から丘を目指して登る。そして下ると1930年代に建てられたと推測できる木造住宅が数軒建つ地域がある。周囲のほとんどがコン…

シン・チェホ (再掲)

1880年12月8日-1936年3月14日 歴史学者にして言論人。抗日革命思想家として独立運動、アナキズム運動の中心で活動。忠清南道大徳郡山内面於南里に生まれる。成均館に入校。1898年、独立協会に加入して活動、検挙され投獄。1905年、成均館博士(教授の総称)…

『現代短歌と天皇制』内野光子 01年発行 風媒社刊

道浦母都子への痛烈な批判エッセィを収載。<いつまで「全共闘」を≪売り≫にするのですか──道浦母都子とマス・メディアの責任>において道浦が天皇制との親密性を露わにした発言を続けていることを指摘。94年皇太子結婚翌日に祝意をこめたコメントを寄せ、97…

3月22日『道浦母都子の歌が新書の「帯び」に使われていると「道浦母都子」キーワードでアクセスをしたブログに記されていた。

http://d.hatena.ne.jp/yellowbook/20060309 『安田講堂 1968‐1969』著者、島泰三、中央公論新社 05年11月 この方の前日の日記に上記の本への感想として「いい本だと思う。けれどもあなたがたは語るのがあまりにも遅過ぎた。そのことへの自己批判が不十分に…

中浜哲、控訴院死刑判決から六日

中浜哲「弥生空 魏櫓枕高く 霞往く 黒蝶ぞ我散る花に舞う」 弁護人の山崎今朝弥宛ハガキに記す。 <獄中影> 差入れの本の間より 黝きクローバの一つ落ちぬ 彼女のこゝろか 轉げ出でぬ 六神丸の原料のごと 紫の膽の色 菫の押し花 壁に活かして セイリョフの…