『現代短歌と天皇制』内野光子 01年発行 風媒社刊

道浦母都子への痛烈な批判エッセィを収載。<いつまで「全共闘」を≪売り≫にするのですか──道浦母都子とマス・メディアの責任>において道浦が天皇制との親密性を露わにした発言を続けていることを指摘。94年皇太子結婚翌日に祝意をこめたコメントを寄せ、97年、斎藤史歌会始の召人になると「引き受けて下さってうれしかった」と繰り返す。『図書新聞』2000年10月21日号初出。
2000年10月に刊行された「岩波現代文庫」の『無援の抒情』から10年前の「岩波同時代ライブラリィ」版の『無援の抒情』に収録されていたエッセィを全て削っていることも指摘。「うちなる天皇と闘うためにも昭和の終焉の作品化を決意」した<終の日の昭和なるかも>、「金子文子の評伝執筆を明言していた<金子文子幻の歌集>など天皇制と対峙しようとする数編が削られたとのこと。
「…が、そのメディアの海を遊泳するかのような道浦は、≪無援≫どころか存分な≪支援≫を受けているではないか。しかも「いい加減な女は私ぐらい」と逃げをうちつつ、かつての志とは遠く離れた地点まで来てしまった彼女は、このさき、どこまで変質してゆくのだろうか。」と厳しく結んでいる。