2008-11-01から1ヶ月間の記事一覧

1910年11月22日 エマ・ゴールドマン、幸徳事件、エマ・ゴールドマン、ニューヨークで「幸徳事件」への第一回抗議集会を開く、数百名が出席、「ニューヨーク・アピール」を採択、

1938年11月22日 萩原恭次郎、病死 午前零時15分、溶血性貧血(胃病)にて死亡。享年40。翌23日葬儀。 「萩原恭次郎の世界」

1924年11月15日 難波大助、天皇国家により処刑される。

難波の遺体を引き取りに出向いた、自然児連盟の山田作松、横山楳太郎、荒木秀雄らアナキストが検束される1899年11月7日1924年11月15日。山口県熊毛郡周防村大字立野第1011番地(現・光市立野1011番地)父難波作之進、母ロクの四男。1919年9月、東京の困窮…

『解放空間のアナーキスト』

80台掻革命家が回考する解放空間のアナーキスト http://book.naver.com/bookdb/book_detail.php?bid=5011750 翻訳ソフトによる翻訳をそのまま掲載しています。 この本は現在韓国アナキズム運動の生き証人と呼ばれるアナーキスト李ムンチャンが 8・15 解放以…

『解放空間のアナーキスト』

解放空間のアナーキスト>発行した李ムンチャン 1945年 8・15解放の喜びも少しの間, その年 12月モスクワ 3サングフェウィでの信託統治決定は十八青年の胸に火をつけた. 坐臥右で分けられて刃が立った対立をする政治現実に絶望した青年は純粋な革命的民族主義…

1922年11月8日。大杉栄書簡、伊藤野枝宛。

「…おとといこっちへ(鵠沼海岸)来たのだが、きのうの昼すぎになって急に行って見たくなったので、魔子を鎌倉へ連れて行って長芝(村木源次郎の親戚)へあずけて、一人で上京した。……一晩は検束のつもりで行った。が、服部へ行って見ると、そんな演説会の様…

1919年11月7日。 

和田久太郎、中村還一、大杉栄らの「労働運動社」の活動のため京阪地方に赴く。

1913年11月7日。 

大杉栄、山本飼山の葬儀参列。 「荒畑寒村による<大久保より> 「大杉が器官を悪くして……7日、大杉、堺、橋浦、二郎、僕、それに故人の親戚友人10人ばかりで、山本飼山の遺骸を落合の火葬場に送った。…僕等5人だけ分れて、帰途、焼芋屋へ上がり込んだ。……盛…

1925年11月6日。望月桂、近藤憲二、秋田刑務所の和田久太郎に面会。

<参考>『大正自由人物語』小松隆二。1928年2月22日、和田久太郎の遺体引取り。 望月桂、近藤憲二の二人は昼一二時ニ〇分に秋田駅着。以下、小松による和田死去の日の状況が述べられている。「和田の急死は秋田刑務所の記録では監房にて午後七時に縊死(自殺…

1926年11月5日。 

金子文子の遺骨、朴烈の故郷の山中に埋葬される。 金子文子の遺骨は予定の5日午前10時埋葬を変更して午前9時遺骨保管中であった聞慶警察署において義兄朴廷植に交付し即時同署警察官2名付添ひ午前十時墳墓所在地慶北聞慶郡身北面8霊里(聞慶邑内を去る西北2…

1927年11月4日。

『黒色青年』14号「東北黒色青年連盟演説会」 10月31日、我等は結盟の日を機とし、自由連合組織、無政府共産主義に就いての演説会を開催した。 関東黒色青年連盟よりは10数名の同志が応援し、黒旗は奥羽の空に北風となびく。 我等が絶叫の足跡は、東北の地の…

1909年11月3日 宮下太吉、明科で爆裂弾を試爆

1908年11月3日 宮下太吉、内山愚童制作『無政府共産』50部を郵送で受け取る  

虹の彼方と烈風

1922年11月1日 大杉栄ら『労働運動』9号発行

印刷人 近藤憲二(労運社住所と同) 主要記事<革命の研究6>大杉栄<編集室から>■逗子の家を引きあげる、社の二階の八畳で暫く親子四人がごろごろする。二人は九州へ立って了って、僕と魔子が八畳の主人。今まで此の室と其の隣の六畳とがぶっ通しになって、…