1913年11月7日。 

大杉栄、山本飼山の葬儀参列。 
荒畑寒村による<大久保より> 「大杉が器官を悪くして……7日、大杉、堺、橋浦、二郎、僕、それに故人の親戚友人10人ばかりで、山本飼山の遺骸を落合の火葬場に送った。…僕等5人だけ分れて、帰途、焼芋屋へ上がり込んだ。……盛岡は出獄して間も無く、発狂して自殺し、山本は早稲田大学を出ると、ぢきに今度の最後を遂げて了った。……」11月28日 『近代思想』12月号(調査書記載無し)」