2007-04-01から1ヶ月間の記事一覧

転載◇「枝川裁判終結(実質勝訴)」記念シンポジウム◇記(以下、転載・転送歓迎)

◇「枝川裁判終結(実質勝訴)」 記念シンポジウム◇ 21 世紀多民族共生社会とマイノリティの民族教育権 ──枝川裁判から今後の課題を展望する――「ぼくらの学校なくなるの?」──そんな子どもたちの悲痛な声が届いたのは、今か ら3年前のことであった。しかし20…

1925年4月27日古田大次郎『獄中手記』

「親友中濱哲君に送る。 今日、大阪の裁判所から通知があつて、僕の小阪事件はこゝで審理する事になつたのを知つた。大阪に行けたら、君達に会ふことが出来たのだが、今はれも駄目になつて終つた。僕はもう君と会ふ事はあるまい。…どうか此の手紙を読んでく…

1925年4月26日古田大次郎『獄中手記』「『父と子』を読んで…」

1925年4月25日古田大次郎『獄中手記』「落付いている。和田君のが惜しい。和田君こそ、本統にこのまま死なせたくない。」

1921年4月24日。大杉栄は週刊『労働運動』9号を発行。コラム<駿河台から>■大杉は一週間に一度位は社に来る。

1925年4月23日。古田大次郎獄中手記「監獄では軍隊式に固苦しい言葉を使ふ」

1925年4月22日。古田大次郎獄中手記「一週間も入浴しない。中濱に話したら、中濱は湯好きの男である」 199

村木君に留守を頼んで 200 お副食物は村木君の大好きなショウガの這入っている福神漬である。村木君はこれが大好きで好く買って来た、これだと飯が余計食べられると言って子供のように喜んでいる、 和田君が一日の昼に来た 200 村木君と僕がと窓に 201 村木…

1919年4月21日大杉栄の「演説会もらい」。

官憲による記述府下北豊島郡王子町所在王子演芸館に於て杉原正夫の主催に係る労働問題演説会に出席し居たるに下村の演説中社会主義を論難する如き口吻ありしかは大杉栄、久板卯之助、石井鉄治、吉田一、延島英一等数名は演壇に押寄せ延島の如きは演壇にあり…

1925年4月20日。古田大次郎「獄中手記」「これが無政府主義者の監獄生活」

「ソウル大学四・一九第三宣言」「いま四月の空は青みゆき、四月に散った友の英霊が注視するこの場所に、われわれは立つ。われわれは、傷痕の歴史を守る正義の守護者であることを確信する。われわれは。今日自由の鐘を乱打する鐘つきの一翼であることを、いま再び自負する」1962年。

メモです。中里介山「夢殿」第四回削除処分。『改造』誌、1927年9月号。

「トスキナアの会」打合せ。五号は「皓星社」よりメール便にて発送されています。そろそろ届くころかと思います。

1906年4月18日、サンフランシスコ大地震発生、幸徳秋水はサンフランシスコ、オークランドで大地震、震災後の生活を経験、現実の相互扶助を知る。

 『リプレーザ』二号を入手。

1913年4月16日、日比谷公園内霞亭、同志集会 日比谷公園機械体操場の茶屋、堺利彦、野澤重吉の発起平民会。集まる者40余名

大杉栄参加

1926年4月16日布施辰治弁護士、

中濱鐵の遺体引取に向かう。刑死した中濱鐵の遺体引取りに関して「遺言により布施弁護士は16日夜半遺体引き取りに赴いた」[17日付大阪朝日新聞]中浜哲

再掲 案内「トスキナア」別冊中濱鐵 隠された大逆罪』購入をお願いします!!アナキスト詩人 中濱鐵の詩作と公判陳述──

仮題、予価三千円 100頁 六月刊行 廣畑研二氏発掘「史料」トスキナア編集委員会刊行 80年間、埋もれていた中濱鐵の大阪控訴院陳述が今、あきらかになる 中濱鐵が「四日にわたつて供述した」「控訴審では陳述するものと思はれたが果して二十八日の公判では驚…

1926年4月15日中濱鐵午前10時に絞首される。

<参考>『黒色青年』紙より。『1926 5月初旬 《関西黒旗連盟》成立 「関西に輝く黒旗の光り」《関西黒旗連盟》 『黒色青年』4号 相続いて関西の同志は一人、二人と或る者は長い既決囚へ、或る者はギロチンへの尊い犠牲が払われて行った。そして密かに大衆…

1914年4月14日、大杉栄は幸徳事件被弾圧者、坂本清馬宛に手紙発信。16日に坂本は手にする

大杉栄は<坂本の姉が心配している>として司法省に谷田監獄局長を訪ね、局長と典獄から二件の許可を得る。<書籍差入れを大杉が受持つ、坂本からの書信は交互に大杉栄と坂本の家族に発信する、大杉栄と坂本の家族も交互に発信する> 幸徳事件に関しては下記…

1919年4月14日、金子文子は12日に朝鮮を離れ山梨、塩山駅に着く。

1925年4月14日 古田大次郎「獄中手記」■「自分は可成女性的な心を持つてゐる。それも、良い所を持つてゐるのでなくて、厄介な事には、悪い所計り持つてゐる。だから不思議はない。

■我等の仲間とゴロゴロするやうになつてから、…中濱と僕とは違つてゐた。村…木君や新谷君は綺麗好きだつた。蛇窪の家なぞは、二人がゐる時はよく拭掃除してくれたものである。. …4.14 ■「畑の菜が雨でよく伸びた。みんな元気のいゝ花を付けてゐる。あれなら…

1909年4月13日、宮下太吉、「平民社」にクロポトキン著、幸徳秋水訳『麺麭の略取』を注文する。

1919年4月12日、金子文子、16歳で朝鮮を去る。<14日塩山駅に着く>

読書]『トスキナア』五号、明日発行

史料 朴烈の手紙と漢詩 朴烈の短歌とギロチン社古田大次郎 20世紀の証人 カール・米田 香具師と社会主義運動考ノート その四 日本の初期エスペラント運動と大杉栄らの活動2 大杉栄が求めたこと? 自由と非戦と 「故郷はインスピレーションなり」 大杉味噌で…

案内「トスキナア」別冊

『中濱鐵 隠された大逆罪』購入をお願いします!!──アナキスト詩人 中濱鐵の詩作と公判陳述── 仮題、予価三千円 100頁 六月刊行 廣畑研二氏発掘「史料」トスキナア編集委員会刊行 80年間、埋もれていた中濱鐵の大阪控訴院陳述が今、あきらかになる中濱鐵が「…

古田大次郎「獄中手記」1925年4月11日

■「監房にゐて一番不快に思はれる音響は扉を開ける時、錠──あの堅固な頑丈な錠を、ガチヤリとはづす音だ。その音は実に不快である。 ■「詩か歌がよめたら、如何にいゝかと思ふ。…」 ■「杉の木の間に閃いてゐる星がなつかしい。… ■「去年は、とうたう櫻の花を…

古田大次郎「獄中手記」1925年4月10日<「人は果して完全に誓を守る事が出来るか。自分にはそれは出来ない。」

■「自分は、自分のやつた事が決つして一番正しい事だとは信じない。」 4.10 自分は運命を乗り切る事が出来なかった ■「啄木のいゝ歌が見つかつた。 東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」4.10 ■自分は今美はしい自然に接すると堪へがたい生の…

古田大次郎「獄中手記」1925年4月9日■<他人を嘲笑したり><「なまじか安心を得るよりか、いつ迄も思ひ悩んだ方がいゝと自分は思ふ。」

■『君はどう見ても、ロシア人以外には見えぬ男だよ。』■恵まれた運命! たしかにさうだ。僕はこれ迄秋に死ぬ事を望んでゐた。有島武郎は死ぬ前に一度秋の空を見たいと言つたさうだ。」4.9 ■<懺悔といふ事は、>4.9

古田大次郎「獄中手記」1925年4月8日。「自分の死ぬ事は他人には言はれたくない」■<自分の信念>4.8

『ripresa リプレーザ』の刊行。第二号が出ている頃ですが。転載。「今、時代を語り明かす、読者参加型のオピニオン雑誌創刊

新雑誌「ripresa リプレーザ」発刊にあたって 「一つの世界空間」が生じて後、「不均衡な一つの言葉世界」が生じてしまったと強く感じる。2006年夏、アメリカ〈帝国〉を後ろ盾に、イスラエルによるパレスチナで、そしてレバノンでの蛮行が、国家テロリズムで…