古田大次郎「獄中手記」1925年4月11日

■「監房にゐて一番不快に思はれる音響は扉を開ける時、錠──あの堅固な頑丈な錠を、ガチヤリとはづす音だ。その音は実に不快である。
■「詩か歌がよめたら、如何にいゝかと思ふ。…」
■「杉の木の間に閃いてゐる星がなつかしい。…
■「去年は、とうたう櫻の花を見ないで終つた。そのためかも知れないが、僕の去年は、春がなかつたやうな感じがする。昨年は僕は、四月の十三、四日頃迄朝鮮にゐた。朝鮮では、櫻はまだ咲いてゐなかつた。蕾は大分大きくなつてゐたが、花はまだ開いてゐなかつた。その蕾のまゝの櫻を、僕は京城天満宮──
当時横浜にかくれてゐた僕と倉地とは、何かの用で東京に出て来た。187
倉地はゴロリと横になつた。…4.11 188頁
■「父は、僕が獄中で平静な生活をしてゐる事を、非常に喜んでくれた。」…4.11
■「僕達が若し、犠牲者といふ名称を.」4.11
■「先の『思ひ出』に僕が他の友人諸君に対して不遜の言を放つてゐる所がある。…」4.11
■「近頃は、余り泣かなくなつた。….」4.11
■「自分に対する善悪の批評に、自分は聊かも耳傾けまい。」…4.11