2008-07-01から1ヶ月間の記事一覧

1926年7月31日

金子文子の遺骨を盗去る追悼会がすんでからやうやく取戻された 31日栃木県栃木町女囚刑務所の共同墓地にて母親に引渡された朴烈の妻金子文子の遺骸は同地で火葬に附し母親きくおよび布施弁護士ら附添ひ東京府下雑司ヶ谷の布施弁護士宅にひとまづ引取り警視庁…

カフェ「学林」入口

1925年7月30日 古田大次郎「獄中手記」より

「外へ運動に出た時、つくづく生きて居たいなと思ふ場合と、さうでなく、案外生に冷淡な場合と二つある。今日は何故か、大変、生きている歓びを感じた。…僕はいつまでもいつまでも、この美しい世界に生きていたくなつた。矢張り、僕は朝より夕方の方が好きだ…

1926年7月30日 布施辰治弁護士、栗原一男ら金子文子の遺骸発掘

「卅日午後三時四十五分赤羽発列車で同七時栃木町に着いた文子の同志 栗原一雄、古川時雄及び実母きく、布施弁護士、馬島医師等が前田支所 長に死体引取の交渉をしたが埒明かず同夜十時布施、栗原、古川の三氏 は自動車を宇都宮市に駆つて吉川同刑務所長に重…

1925年7月29日 和田久太郎書簡 古河三樹松宛

「僕は労働組合が堕落の傾向があるからといって、その力なり、意義なりを軽視するのは大反対だ。それが堕落に向ふやうなら、猶更らその運動に向つて力を尽さなければならないと信ずる。……」「……あき足るものは自ら創造して行く他にないよ、実行と経験の真ん…

1926年7月23日 金子文子死亡、宇都宮刑務所栃木支所 現在地は栃木市立文化会館と図書館、栃木駅から徒歩10分余り

新聞報道は八日後にされた。7月31日 『京城日報』大逆犯人朴烈の妻刑務所で自殺す《東京電報》■二重橋事件の大逆犯人として死刑の宣告を受け聖恩に浴して刑一等をを減ぜられ無期懲役に処せられた朴烈の妻金子文子(二五)は栃木県栃木町所在の女囚収容所なる…

1925年7月18日 金子文子、朴烈 大審院第1回予審訊問

金子文子、予審請求書訊問調書(第1回)1925年7月18日市ヶ谷刑務所、刑法第73条の罪並爆発物取締罰則……大審院特別権限に属する被告事件予審掛東京控訴院判事立松懐清……二問 年齢は。答 御役人用は二十四年ですが自分は二十二年と記憶して居ます。併し本当の…

1922年7月16日 

後藤謙太郎逮捕される。金澤九師団への外出兵士へ軍隊宣伝不穏ビラを撒いた件

1916年7月16日 

大杉栄より伊藤野枝宛書簡 「……うんと喧嘩でもして早く帰って来るがいい。その御褒美には、どんなにでもして可愛がってあげる。そして二人して、力をあわせて、四方八方にできるだけの悪事を働くのだ。それとも、この悪事をあと廻しにして、叔父さんの言う通…

1925年7月7日

金子文子・朴烈に対する刑法73条、爆発物取締罰則、予審終結決定

1919年7月7日大杉栄、著作家第一回総会に出席

「僕は近来日本に労働問題が盛にやかましくなって来る原因及労働問題が日本政府資本家是等の御雇の学者などの問題に叫ばれて居る之が最近一年以来の話である日本の労働問題が叫ばれて来たのは十年二十年にもなるが真に労働問題を叫ぶ様になったのは実に昨年…

1907年7月7日 大杉栄 クロポトキン、マラテスタの著作を読む大杉栄書簡より

獄中での読書 「クロポトキン『無政府主義の倫理』『無政府主義概論』『無政府主義と共産主義』『裁判と称する復讐制度』マラテスタ『無政府』ロラー『総同盟罷工』『パンの略取』マラトウ『無政府主義の哲学』」堀宛手紙、巣鴨監獄

1906年7月4日 サンフランシスコから戻り、幸徳千代子と共に新橋駅から土佐中村に向け出発

1923年7月3日 不逞社、新山初代、駒込署で取調べを受ける

井家上さん、紅野さんと懇談。

参考 古書価格 『日本映画縦断1 傾向映画の時代』 竹中労/白川書院/1974年発行/\7,000 初版 『日本映画縦断2 異端の映像』『日本映画縦断3 山上伊太郎の世界』 竹中労/白川書院/1976年発行/\7,000 初版 『日本映画縦断』 全3冊揃 竹中労、…

1914年7月1日 

大杉栄シンヂカリズム研究会 会する者13名(内未編入者4名)雑談、斎藤兼次郎「オーストリア皇儲の暗殺……」大杉は「爆裂団は何でも堅い処に当てなければ破裂せぬと云うが……外国の天皇は日本の様な馬鹿な取締をなさんが実に勇気がある云々」

1910年7月1日

宮下太吉第17回予審調書 問 「天長節で爆裂弾を試験したときに用いた缶はブリキ缶であったというがどうか」答 「ブリキではありません、亜鉛です、五個つくってもらって十銭払ったと思います」 他に新村忠雄を介した奥宮に関する訊問