2007-08-01から1ヶ月間の記事一覧
「…何ぼ僕が空想家だつて、見す見す破滅に陥るやうな道には行きはすまい。」 古田大次郎、中浜哲、ギロチン社
(藤井教誨師から聞いた話を記憶のまま引用)普通の死刑囚の心理状態は、先ずこんなものださうだ。こゝに救ふと言つたのは、少々言葉を濫用し過ぎたやうなものだが、要するに、非常な煩悶と恐怖に陥ってゐる囚人を、何とか諦めさせ、忘れさせ、そして出来るだ…
『熊本評論』31号 1908.9.20<悲壮なる最後の法廷> 二面「錦輝館赤旗事件の判決言渡しは8月29日午前11時服部検事立会、島田裁判長に依り言い渡された。判決左の如し重禁錮2年6月罰金25円 大杉栄同 2年 20円 堺利彦同 山川均 (註 控訴するも原審のまま)同 …
宣言………自由労働者組合 綱領……… 規約………本同盟は、富川町部、花町部、三河町部、朝鮮部よりり成り当本部を深川区富川町21番地に置く。『労働運動』第7号 1922.9.10
「そろそろ皆に、お別れを告げねばならぬ。これから書く手紙は多分僕の最後のものとなろう。…考えると淋しい」 古田大次郎、中浜哲、ギロチン社
「雨の日の淋しさを前には好んだが、今はそれを堪へ難いものと思ふやうになつた。それだけ心が弱くなつたのだ。 矢張り、いつも晴れた青空を見てゐたい。死ぬ時も晴れた日であつてくれ。 松谷弁護士来訪。…」
公判第二日。 堺利彦証言、荒畑寒村証言「大杉栄と共に暴行を受ける」 『熊本評論』30号 1908.9.5発行 一面三面五面一面 午前……検事の論告……… 8月22日午前9時東京地方裁判所に於て古賀検事干与、島田裁判長により開廷、朝来より傍聴席に押寄せた来りし群集は…
「晴。運動場の隅に生えてる雑草──ほんの二、三本だが、その雑草が、雨の降る度に、眼に見えて大きくなる。」 山崎弁論批判「僕を真実に知り、そして愛してくれるならば、弱い僕に力を与えて安らかに死なせて貰ひたい。徒に生命を助けようなどと骨を折るのは…
新山初代「自由人社で大杉栄の仏国行の話がありましたので、朴興坤と聴きに行きました。」
目次自序第一章 思想立国第一節世界は一なり第二節 現実に徹する思想第三節 共産党を語る第四節死に生くること第二章建国の指標第一節独立とは形式ではない第二節具体的に建国の立地条件を究めよ第三節戦線統一への方向第三章青年と民族の運命第一節立国の支…
幸徳秋水「翌日からの赤旗事件公判傍聴のため東京に戻る。同夜、豊多摩郡淀橋町柏木に住み平民社とする。熊本評論をやめた坂本清馬が住み込み、森近運平も合流」
「幸徳秋水箱根の内山愚童を訪ねる」
「此の態を見て呉れ」烈生 「思ったこと二つ三つ」ふみ子 「東支線駐屯の日本軍」烈生 「ボロ長屋の二階から」金子文子 「朴烈から」 「朝鮮光州に印刷職工の罷業」烈 「栄養研究所所長佐伯博士に」ふみ子
幸徳秋水、新宮を離れる
友人たちと別れ、台風五号の接近する中、田沢湖に路線バスでおりる。渋民村石川啄木記念館に寄るつもであったが天候をかんがみて東京に戻る。13:30仙台からローカル、快速を乗り継ぎ「赤羽」駅に18:58着。