1914年4月14日、大杉栄は幸徳事件被弾圧者、坂本清馬宛に手紙発信。16日に坂本は手にする

大杉栄は<坂本の姉が心配している>として司法省に谷田監獄局長を訪ね、局長と典獄から二件の許可を得る。<書籍差入れを大杉が受持つ、坂本からの書信は交互に大杉栄と坂本の家族に発信する、大杉栄と坂本の家族も交互に発信する>
幸徳事件に関しては下記サイト頁内コンテンツを参照してください。<大逆事件 大逆罪・爆発物取締罰則弾圧による国家テロリズム
http://members2.jcom.home.ne.jp/anarchism/miyashita.html

<幸徳事件>内容より、坂本清馬に関して以下を引用。
1934.11.3 坂本清馬 仮出獄
1937.3.20 新田、東京で死亡
1945.10.4 小松 困窮の中で死亡
1946.2.24 坂本清馬、岡林 刑の言い渡しの効力を失わせる「復権
1948.6.26 崎久保、飛松「復権
1948.9.1 岡林、高知で死去
1952.10 坂本清馬「逆徒といわれて 在監25年・幸徳事件の真相」を『中央公論』10月号に発表。
1953.9.10 飛松、山鹿町で死去 65歳
1955.10.30 崎久保、市木村で死去
1975.1.15 坂本清馬死去 84歳
1975.1.24 中村で追悼会「故坂本清馬君翁を讃える会」発足

再審闘争
1960.2.23 「大逆事件の真実を明らかにする会」発足
1961.1.18 坂本清馬、森近栄子(運平実妹)、東京高裁に再審請求申立て、東京高裁、森長弁護人等代理人
1963.9.13,14 坂本出廷陳述
以下略
坂本清馬は『麺麭の略取』発行人として弾圧を受ける。参考<『麺麭の略取』>
http://members2.jcom.home.ne.jp/anarchism/anarchismbook-bread.html