『解放空間のアナーキスト』



解放空間のアナーキスト>発行した李ムンチャン


1945年 8・15解放の喜びも少しの間, その年 12月モスクワ 3サングフェウィでの信託統治決定は十八青年の胸に火をつけた.
坐臥右で分けられて刃が立った対立をする政治現実に絶望した青年は純粋な革命的民族主義を実現することができる第3の路線を探し込んだ.
そうする中偶然な機会に接した ‘無名回’は青年の人生を完全に後先にするきっかけになった.
韓国アナーキストたちの叢集結締である ‘自由社会建設者連盟’と民族陣営の間の連絡窓口役をした ‘無名回’を通じて青年はアナキズムに目覚めて, アナーキストとしての生に第一歩を踏み出すようになる.
▲ 李ムンチャン翁
当時ソウル鍾路区芸館洞 24番(回)ユゾングリョル先生の家に泊まってイウルギュ, 李正規, ギムジガングなど先輩アナーキストたちのおつかいを引き受けてした熱血青年はいつのまにか八旬年寄りになった.
韓国 2世代アナーキストの最後の走者である李ムンチャン(81) 国民文化研究所名誉会長だ.
彼が今までほとんど知られなかった解放以後韓国アナキズム運動の現場を照明した著書 ‘解放空間のアナーキスト’(理学士)を発行した.1970年代出刊された ‘韓国アナキズム運動社’は解放の前の活動までに紹介されていて解放後のアナキズムに対する本格的で体系的な記録はこの本が初めだと言える.
●韓国 2世代アナーキストの最後の走者
“3・1運動を前後して抗日独立運動を広げた短才シン・チェホ, 友党イフェヤング先生みたいなアナーキストたちが 1世代なら, 解放後朝鮮民族共同体の運命を悩んだアナーキストたちは 2世代にあたります.
あの時革命を一緒に悩んだ先輩と仲間たちは皆あの世に去って, これから私だけ残るようになったのだからもっと遅れる前に歴史を記録しなくちゃいけないと言う使命感と責任感がしました.”



▲ 1975年日本で活動するアナーキストフィリップビリングスリー(前列左側一番目) 教授の韓国訪問を記念して撮影したアナーキストたちの団体写真.
ビリングスリー教授右側二番目が李ムンチャン会長だ.
理学士提供.
本には 1947年臨時政府烽台運動と革命巨事を計画した韓国革命委員会の活動と 6・25 当時北朝鮮軍占領下のソウルでしたレジスタンス運動などアナーキストたちの無力闘いがおもしろく記述されている.
しかしこれよりもっと注目するに値する内容はアナーキストたちが ‘国民文化研究所’を設立して一般大衆を相手にした社会教養運動, 農村運動, 自由共同体運動に邁進したという事実だ.
国民文化研究所は革命巨事が失敗に帰った状況で直接民主とよく協同の共同体領域を拡大するためには民衆の生産現場に掘り下げて共同生活訓練を通じる社会構造改革運動を広げなければならないという判断によって以後アナキズム運動の中心になった.
この会長は 1947年設立初期から研究所活動に参加して今まで 60年間この事に邁進して来た.