2006-03-01から1ヶ月間の記事一覧

<わが解説7『白い花』前後>秋山清

「詩は何のために、誰のためにかかるべきか」…… 「昭和十八年といえば日本軍が太平洋戦争で大きく後退をつづけいていた頃である。日本人どもは知らなかったが戦争はもう全く敗北にかたむいていた。私はその下で、多忙で詩をかく時間もなかったが、かくとすれ…

原稿書きと編集の合い間に『わが解説 「ある孤独」「白い花」ほか』秋山清著、04年11月文冶堂書店を読む。著作集には収録されていない。七七年から八三年に執筆された秋山の晩年の「詩論」集である。「自分のために詩をかくこと」を考察した論集。「風景とプ…

中浜哲、大阪控訴院で1926年3月6日死刑判決

中浜哲は裁判制度を否定し法廷では黙秘。検事控訴により大阪控訴院で1926年3月6日死刑判決となる。(1925年5月28日、大阪地裁無期懲役の判決)。 中浜が裁判長に「私の上訴権は放棄」、検事には「この上は刑の執行を出来るだけ早く」と叫んだことや加藤一夫や…

月島

昨夕歩く。大江戸線にて新宿より20分余り。大昔は銀座から都電11番線で跳ね上がる「勝どき橋」で停滞もあり。大杉栄が若いころ一時下宿していた町。再開発計画の破綻が中途半端な景観を創り出した。多くの路地は解体されつつある。江戸湾の月の岬が埋立てら…

転載・季刊『前夜』http://www.zenya.org/index.php

「前夜では、春の古本市を開催します。貴重な掘り出し物が見つかるかも?ご参加・ご協力よろしくお願いします。 ご不要な本、寄付したい本などある方は、前夜事務所まで送ってください! どんな本でもけっこうです。ご協力よろしくお願いします!(〆切は2…

1931年2月11日 宇佐美五郎凍死

1907年生まれ。『日本アナキズム運動人名事典』より

萩原恭次郎詩集

<春浅き日の死> 宇佐見五郎に 五郎兄いに初めて会つた時五郎兄いは手に繃帯をして首からつつてゐた 僕は世田ケ谷の家に頭や手足に繃帯をし全身に重くうづく打撲に寝てゐた 二度目に会つたのは下北沢の『×××』を訪ねた時だ 僕等はしつぺをかけて雨戸を引い…

昨晩の会議は地域での憲法問題に関するささやかな運動の打ち合わせ。 前回の会議の後、『彷書月刊』二月号を全員が購入してくれた。 昨晩は、簡単ではあるがその感想を話してくれた。 三月になり猫たちの活動パターンが少し変わってきたようだ。 昨日、アッ…

備前又二郎「陣痛前後」

福島の「平民新聞が、××事件の巻添えを食らってブッ潰れて以来、久しい間意気衰えていた関西アナの運動も、さかりの付いた、犬の様に、折柄の欧州大戦以後の労働争議頻出に際會して岸井、新谷、小西(武)山田、筬治、伊藤(孝)、及び僕等を●人として<関西…

東禅寺

久し振りに朝のラッシュ時の山の手線を利用。座席が利用できない電車というのはやはりおかしい。一編成全てが座席がたたまれたままか確認はしていないが、体力がある人ばかりがラッシュ時に乗るとは限らない。二十数分間の電車「旅行」。東京見物。「雨の品…

転載<本日のサウンドは1985年韓国全学協ヴァージョンでございます>

知人からサイト更新の案内が届きました。 http://www.tsukiji-type.co.jp/ 築地電子活版 アクセスをするとサウンドが流れてきます。

三月一日『金子文子・朴烈裁判記録』1991年刊、黒色戦線社

如何なる朝鮮人の思想より日本に対する叛逆的気分を除き去ることは出来ないでありましょう。私は大正八年中朝鮮に居て朝鮮の独立騒擾の光景を目撃して、私すら権力への叛逆気分が起り、朝鮮の方の為さる独立運動を思うと時、他人の事とは思い得ぬ程の感激が…

『秋山著作集』月報2

<『ニヒルとテロル』と『余白の春』>関陽子 『婦人公論』の編集者として瀬戸内晴美『余白の春』の連載の経緯が述べられている。(一昨年のコスモス忌でも語っている)。1971年新年号から72年3月号。関さんの依頼のきっかけは「ニヒルとテロル」に収載の秋山…

金子文子・朴烈「大審院公判」

一九二六年二月 再結成された黒友会を中心に傍聴等の支援体制が組まれる。三月二〇日発行、 『自我声』創刊号が在大阪の朝鮮アナキストにより発行。「朴烈特別公判」と題した記事が掲載。「…傍聴禁止、二月二六日午前九時大審院法廷で開廷された。…この日鮮…