13日夕方、品川駅前に佇む、阿部定が逃亡後に宿泊したホテルは相当以前に解体され、駅前の様相も変遷があるが元々から「盛り場」では無いだけに昔の景観が想起されやすい。

駅の反対側は畜肉処理場と埋立地に工場が散見されるロケーションであったのが高層ビルが並びたっている。江戸時代の薩摩藩下屋敷跡から丘を目指して登る。そして下ると1930年代に建てられたと推測できる木造住宅が数軒建つ地域がある。周囲のほとんどがコンクリートの建造物になっている中、時代を超えた感覚になる。このような異景は街案内の雑誌に紹介されがちだが抜け道の際にあるためか、表通りからは気付かれないためか注目はされていないと思う。
寺と寺の間の抜け道を通る、かつては泉が湧き民家には井戸があったが土の路地はコンクリート舗装がされ墓地裏からの道は金網のフェンスで遮られ抜けられない。民家に沿ったジグザグ、アップダウンの路地を進む。評論家の川本三郎がかつてタイムスリツプをするような街と表現した地域であるが、時間を遮断するかのような長い塀が消え新建材の住宅数戸が建ち味気ない家並みになる。
桂坂に出る寸前は石段のはずだがなぜか大型バイクが入り込んで来た。先に行くとその下の坂道で案の定、車輪を空回りさせ立ち往生している。曲がると急な階段である。バイクの青年は恥ずかしそうに戻っていった。抜け道の入口には車両は抜けられないと表示が大きくされていたはずだが見逃したか自動車が対象と思い込んだのだろうか。桂坂をあがると1933年建築の消防署が現存して使われている。見学できますかと聞くとあっさり「いいですよ」と返事がありおまけに案内の職員まで付けてくれた。当然ながらすでに紹介のサイトがある。
http://www.tfd.metro.tokyo.jp/hp-takanawa/takanawa_nihonenoki_profile.html
桜田通りを横切り夕闇の中、明治学院の「ヘボン館」を望み、瑞聖寺から目黒方面を目指す。東大医科学研究所のレンガ外壁は夕闇の中で見分けがつかない。庭園美術館、自然園を通り過ぎ目黒駅前に着く。都電の車庫があった地点には以前として古いが趣のない二階建てビルが残されている。周囲が中層ビルの中、建てなおされないというのも面白い。