1926年3月25日金子文子・朴烈へ大審院判決

理由
被告準植は其の幼時より受けたる環境の影響、民族の現状に関する不満の念よりして偏狭なる政治観及社会観に陥り遂に地上の万類を絶滅し自己亦死するを以て究極とする其の所謂虚無主義を抱持するに至り此の思想を実現せしむる為我皇室に対し危害を加ふるの非望を有し、被告文子は幼にして父母の慈を享けず荒らたる家庭に生立ち早く既に惨憶に流離辛苦の余骨肉の愛を信ぜず孝道を否定し権力を呪ひて皇室を蔑視し現代社会は其の身を絶望の域に陥らしめたるものなりとして其の無情を憤り生類の絶滅を期する虚無的思想を懐くに至り大正十一年二月頃被告両名相識るや互に其の思想を語りて意気投合するものあり同年五月頃東京府豊多摩郡代々幡町代々木富ヶ谷に一戸を構へ同棲するに尽いて両者の略一致せる極端なる思想は輒滋々高潮して其の理想を実現せしむる為具体的計画を樹つるに至れり大正十二年の秋頃挙行あらせらるる趣に伝えられたる皇太子殿下の御婚儀の時を機として至尊の行幸又は皇儲の行啓を便宜の途に擁し鹵簿に対し爆弾を投擲して危害を加へ奉らむことを謀議し其の企画遂行の用に供する爆弾を入手せむが為被告文子と協議の上被告準植は大正十一年十一月頃朝鮮京城府に赴き当時義烈団と画策せる朝鮮人金翰と同府観水洞四十七番地なる其の住居に於て会見し爆弾の分与を申し込み其の約諾を得、越て大正十二年五月亦被告文子と協議の上被告準植は東京市本郷区湯島天神町一丁目三十一番地下宿業金城館其の他に於て、数次無政府主義者金重漢と会合し前示義烈団と連絡して上海より爆弾を輸入せしむことを委嘱し、其の承諾を得たるも之を入手するに至らざりしものなり証拠を案ずるに以上の事実中被告朴準植に於て金重漢は義烈団と連絡を取ることを承諾せるのみこして爆弾輸入に付承諾せるに非ずと否認し被告金子文子に於ては金重漢に対する依嘱に関与せずと否認する外前示犯罪事実は総て各被告の当公廷に於て認むる所なるのならず本件犯罪及其の原因、動機に付ては左に挙示する所に拠りて其の証憑十分なりとす被告朴準植が朝鮮京城に趣き金翰と会見し爆弾分与の交渉を為したる事実は各被告の訊問調書に同趣旨の供述記載あり又証人金翰の訊問調書に大正十一年十一月頃日本政府に反抗する目的を以て組織されたる暴力団義烈団の金元鳳と呼応し朝鮮に爆弾の輸入を画策し当時其の数個既に安東県に到着し居り数日を出ずして入手する手筈なりし折柄京城に於て朴準植と会見し同人より爆弾分与を依頼せらし之を承諾したる趣旨の供述記載あり別件記録中(治安警察法違反爆発物取締罰則違反事件を指す以下皆同じ)同証人訊問調書にも京城観水洞四十七番地なる居宅に於て朴と会合し爆弾の分与を受諾したる旨及朴とは妓生李小紅事李小岩の訊問調書に金と朴との間に於ける文書往復に付取次を為したる旨の供述記載あるとに依り之を認むべく金重漢との関係に於ては証人金重漢の訊問調書に大正十二年五月中湯島天神町一丁目三十一番地下宿業金城館其の他数か所に於て朴烈と会合せる際同人より爆弾を輸入する為連絡を取ることを依頼せらし之を承諾したるに相違なき趣旨の供述記載あると別件記録中の被告金重漢の訊問調書中に右と同趣旨及自分は上海に赴き独立党又は共産党の者に朴の意思を伝へ其の連絡を取り取次を為さば自分の任務を了る筈にて朴に費用の支出を求めたる旨及或時朴烈より今秋御婚儀に使用する為上海の義烈団と連絡を取り爆弾を手に入れ呉れと頼まれ其の位のことならば行ふべしと承諾したるに朴烈は費用は有島の処より調達することとせる旨の供述記載あり同記録中に於ける被告朴準植の訊問調書に爆弾の入手を金重漢に依頼したる旨の供述記載あるによりて之を認む
金翰及金重漢に対する依嘱が被告両名の共謀に出でたることは被告朴準植の当公廷に於て
自認するのみならず同被告の訊問調書に金翰金重漢に対する依嘱に付ては金子文子も其の
相談に与しる旨の供述記載あり別件記録中の被告金子文子の訊問調書に金重漢の人と為りを
認めたるより朴と相談の上朴より金重漢に対し爆弾を上海より輸入せしむことを依頼したる旨の供述記載あるに由り之を観れば被告両名の共謀に出たること明にして被告文子の当公廷に於て金重漢の依嘱には関与せずとの弁疏は之を採用せず右爆弾入手の企図が畏くも我 皇室に対し危害を加へんとするの目的に出たることは被告両名の当公廷に於て自認する所なるのみならず被告朴準植の訊問調書に 天皇陛下 皇太子殿下に対し危害を加ふることを計画したるに相違なき旨被告金子文子の訊問調書に同趣旨の各供述記載あると別件記録中に於ける被告朴準植の訊問調書に自分は日本より虐げらるる朝鮮民族の一人として日本の皇室に対しては拭ふべからざる叛逆心を有する旨、朝鮮の一般民衆は我 天皇陛下 皇太子殿下を名実兼備の実権者にして倶に天を戴くこと能はざる讐敵なりと思ふが故に其の存在を地球より抹殺し去るを以て朝鮮民衆の革命的独立の熱情を刺戟するに有効なる一方法なりと考へたる旨殊に大正十二年秋季に挙られるべき皇太子殿下の御結婚期に爆弾を使用するは朝鮮民衆の日本に対する意思を世界表明するに最好機なりと思ひ出来得る限り其の時期までに間に合ふよふ計画を進めたる旨而も是単なる理想に止まらずして其の実現を期し計画を進めたる旨の供述記載あり又別件記録中に存する被告金子文子の訊問調書に大正十二年四月頃の新聞紙上に皇太子殿下の御結婚が同年秋季頃に行はるるとの報道掲載ありしより此の時期を好機として爆弾を投擲せんと計画したる旨、朴が京城に赴き金翰に交渉したる当時に於ても其の時期までに爆弾を間に合はし呉れるよう話したる筈にて金重漢との関係に付ても自分と朴との間には行列に使用すべく話したることある旨及天皇陛下を爆弾投擲の対象とせざりしにあらさるも比較的可能性多き皇太子殿下を第一対象として計画を進めし旨の供述記載あるに依り明確なり犯罪の原因動機に関しては被告人朴準植が朝鮮慶尚北道聞慶郡麻城面の一農家に生れ家貧なるに拘らず学に志し朝鮮総督府の施設せる公立普通学校の過程を卒へ進みて高等普通学校師範科に入るに至り日鮮人間に差別待遇あるものと做し日本の統治に不満を懐き民族的独立の思想を抱きて大正八年十月頃東京に来り各種の下級労務に服し僅に生活を支ふるに?ひて広義の社会主義に入り次で無政府主義に変じ更に虚無的思想を抱くに至り人類社会は弱肉強食を事とする醜悪の府なりとし自己は圄(固)より万物の存在を否定すると同時に堪へられざる虐待の下に弱者として忍従するを得ず総ての物の絶滅を志し一面朝鮮民族の一人として日本の権力階級に対して叛逆的復讐心を有し之が為我皇室に対して報復せんと企て畏くも 天皇陛下 皇太子殿下に危害を加え奉らむことを図りたることは別件記録中に存する被告朴準植の訊問調書に其の旨の供述記載あり又被告金子文子は佐伯文一金子きくのの間に私生子として生れ幼にして父母相次で他に去り孤独の身と為り其の慈愛に浴するを得ず朝鮮其の他各所に流寓して備に辛酸を嘗め人生を悲観し、社会を呪ふに至り大正九年の春東京に出て爾来或は夕刊売となり或は夜店商を為し又或は他家に雇はれ其の間学校に通学したることあり又思想に関する書籍を耽読し且各種の主義者と交り過去の生活の総て強者より蹂躙せられたりとして権力を否認し人類の絶滅を期するを理想とし大正十二年二月頃被告朴準植と相知るや両人の主義思想の投合するあるよりして東京市外代々木富ヶ谷に一戸を構へ同棲し遂に本件犯行を為すに至りたることは別件記録中に於ける被告金子文子の訊問調書に其の旨の供述記載あるに依りて之を認む之を要するに本件犯行は以上叙述するが如く被告等の環境の影響と謬しる社会上政治上の観念とに依り其の主義思想の悪化せるに基くものにして被告朴準植は日韓併合の真相を解せず被告金子文子は矯激なる偏見に囚はれ肯謀りて畏くも皇室に対する大逆事犯を企画し因て以て光輝ある我国史に一大汚点を印したる其の罪責は極めて重きものと謂はざるべからず法律に照すに被告両名の前示すの如く皇室に危害を加へむとしたる所為は刑法七十三条に該当し右の目的を以て金翰金重漢に爆発物を注文したる所為は明治十七年太政官布告第三十二号爆発物取締罰則第三条に該当し爆発物の注文は 皇室に対し危害を加へむとしたる所為に外ならざれば刑法第五十四条第一項前段に依り重き同法第七十三条の刑を以て処断すべく訴訟費用は刑事訴訟法第二百三十七条第一項第二百三十八条に依り被告両名をして連帯負担せしむべきものとす仍て主文の如く判決す

検事小山松吉同小原直関典
大正十五年三月二十五日

  大審院第一特別刑事部

              裁判長判事