半蔵門・永田町

二十数年振りに最高裁判所に傍聴のため入る。国を被告とした民事訴訟の判決があるということで南門から入る。新築された当所から砦のような構造という印象だが傍聴人に対しては開かれていないことは相変わらず。職員が無線で連絡を取り合い、かってに内部を歩き回らないよう職員の護衛がつく。4.5階相当の階段を上がらせられる。普通の官庁の構造とは全く異なる。裁判官どもが閉じこもるために設計したような無駄に堅固な建物である。こちらは階段は歩きは慣れているので小法廷に向う最後の階段をさっさと上がったら職員の方が息切れをしてきたようで、付いて来るのをあきらめてあちらですと法廷入口を指す。
開廷10分前くらいから文書を手に職員が注意事項を読み上げる。これがまた棒読み。マスコミの代表撮影にも言及。裁判官共が入廷したら起立をすること、注意に従わないときは退廷を命じることもある云々。5分前になると別の職員が現れ、もうじき裁判官が入廷しますとのたまう。芝居がかっている。自分らを権威の塊とすることでしか地位を確認できないのだろうか。法廷での裁判官入廷時の起立問題は大杉栄の時代から無視をすることになつている。起立問題では山崎今朝弥、布施辰治が一文を残している。入廷したが私はふかふかの座席に座ったまま。何事も起らない。
さて、裁判は加藤三郎君が熊本刑務所に在監中、国会議員であった福島瑞穂保坂展人に監獄当局の処遇に関する請願書を送付した。その件を朝日新聞の支局に知らせるべく発信をしようとしたら刑務所当局に妨害をされた。通信ができなかったことへの損害賠償と不当な制限であることを主旨として本人訴訟を起こし、一審、二審とも敗訴で上告をした。
判決主文を聞くと何とめずらしいことに原審を取り消し、被上告人である国に一万円の支払いを命じるとの内容。後に判決文を見ると熊本刑務所所長に過失があると結んでいる。数分で終わる。もちろん1万円で慰謝はされないし多額の費用もかかっているので勝訴ながらも金額に関しては不当であろう。
近隣の会議室で報告の集まり。東京新聞の特報担当の記者が取材に来て、詳細に加藤三郎君に質問をしていた。掲載されるかどうか判らないが東京新聞には当面注目。
加藤君は89年から02年まで懲役刑で熊本刑務所に囚われていた。記者が「何をした人と、読者に説明すればいいのか」と聞く。本人、参加者で自由発言。「大地の豚」という名で声明文を出した東大の教室に爆弾をしかけた件、「闇の土蜘蛛」という名を使ったこともある。平安神宮をかなりの範囲で燃やした件等々(爆弾を使用した件は10件近くあったがほとんどけが人は出ていないので、平安神宮の現住放火が結局重罪となっている)……「日本国家と大学、企業がアジアへの侵略に加担し続けたことを訴えた」というニュアンスにその場ではまとまったが、記者としても説明しにくいところであろう。
会議室があった建物を出て坂を上がると国会議事堂の横に出た。警備の警官がすぐ目に入る。議事堂は猥雑な建物にしか見えない。
傍聴していた中に高齢の女性がいた。N.U.さん。N.U.さんの連れ合いは結婚する前はギロチン社のメンバーとして弾圧されている。1930年代に一緒になった後も活動を続けていた連れ合いは頻繁に検束をされた。その「戦前」の経験もありN.U.さんは1970年代から死刑廃止運動や獄中者の支援活動に参加、継続している。
また新たなエピソードを聞くことができた。子供に中浜鉄と古田大次郎の名から一字ずつとり哲郎と名づけたとのこと。『彷書月刊金子文子特集を差し上げた。栗原一男さんとも面識があったようだ。