宮崎晃の著作からのメモ。

「抹殺社」1921年1月結成、久保田順、加藤昇は平野小剣らの「立憲労働党員」。『労働運動』1921年3月20日第七号、「抹殺社一味」<2,3ヶ月前から大道で呼売りしていた『大眼目』という小冊子を見ると、かれらの主張がわかる。それは、一種の国家社会主義だ。もっとも西園寺邸の一件や東宮外遊延期の祈願を行ったりしたのは、何主義によったものか、僕は知らない。自由協会、学生連盟、純労会、自由労働者組合の落武者に、ある信用のない元社会主義者が加わって、出来上がった団体である。>

実は14,5名の青年の集まりであるらしい。…幹部の北一輝君は、数年前『純正社会主義』及び『国家論』という著述を出して、発売禁止をうけ、その後久しく中国に行っていた人物だ。『大眼目』は、北君の書いたもので、署名は何故か角田清君[←原文のママ・清彦]としてある。そして、その角田君は、元自由労働者組合の幹事で、いまは大本教の信者とか。こうした不てい日本人の背後に何者かがいるらしい。(還一)と報道している。右に出てくる「自由労働者組合」「純労会」「抹殺社」なども、平野小剣と因縁浅からざるものがあるために、煩をいとわず、長い注解を付した。