一九二六年三月二六日付(前日発行)『東京日日新聞』夕刊。朴烈夫妻は死刑大審院でけふ判決朴烈事朴準植その妻金子文子両名の最後の審判の日が来た、廿五日の大審院界隈は東のまだ白まぬ頃から押しかけた傍聴人が午前六時頃までに三百余名、百余名の日比谷署員や憲兵がこれを整理し八時から入廷開始、長髪、ルパシカ、赤ネクタイなどの鮮人を初め栗原一夫、後藤学三、武良二、木下茂など朔風会、自然兒、解放戦線などの面々が八分通りを占め特別傍聴人の中には白根男、加賀谷皇宮警察部長などが見える。

九時十二分被告両名が文子を先に入廷する、文子は矢がすりの銘仙の袷にすゝき模様のメリンスの羽織、束髪をダラリとくづし金ぶち眼鏡の奥からうるんだひとみをキヨロつかせてゐる、朴は白リンスの朝鮮平服、ピカピカする頭髪をトンボのやうに真二つに分けてゐる、ふたりは椅子にかけ見かはして軽くうなづき温い茶をグッと呑みほす、やがて廿七分牧野裁判長以下五名の判官と立会いの小山検事総長、小原検事等着席、横田大審院長その他お歴歴もうしろに控へる、一脈厳粛の気が漂ふ、牧野裁判長は荘重な口調を以て先づ朴の悲惨な生ひ立ちから両名の犯罪事実の経路を述べた後、一段声を張りあげて『被告両名を死刑に処す』と断じた、この時朴は悠然と立ち上り『ご苦労さま』とはつきり述べ且つ何事か口走つたが付添ひの看守長等に引つ立てられ文子は流石にくらくらとなつて暫く立ちすくみ、やがてこれも悲しい声を振りしぼつて低く手をちよいとあげた、傍聴人は総立ちとなり一道の殺気流れると見る間もなく裁判長以下退場し被告両名も廷外へ拉致し去られた、時に九時卅五分。判決掲載年本籍と姓名)略 主文 被告両名を死刑に処す(事件の概要、司法省発表)略…帝国の基礎を破壊して反逆的復讐を……金子は朴の前記企図に同意し相共に之が目的を遂行せんことを謀り…判決を終つて 金子も共同正犯 七十三条適用の理由
牧野裁判長曰く牧野裁判長は語る『十数年前幸徳秋水を出し更に難波大助が現れ今また朴夫妻のやうな人間の出たことは誠に遺憾に堪へぬ、朴もふみ子も才智があり頭脳も明せきなのだから真面目に働けば相当社会に貢献したらうものを逆心を起したのはをしい、世間で噂される如くふみ子は朴に引きずられたのではなくて朴に共鳴し共に謀つたのだから刑法七十三条の適用を受くる責任が充分あるものと確信する』

死刑執行 本月末か来月初めにならう

朴烈夫妻の公判記録はこれを整理し行刑当局の手を経て司法大臣に差出しその命令により死刑の執行が行はれる訳であるが難波大助事件とは周囲の事情を異にするから執行はさまで急がぬらしく月末か来月初旬になるだらうと。