六月は幸い、久し振りの腰痛だけでダウンせずにすみました。

届いた古書店の目録に萩原恭次郎と他の表現者の協同作品である『死刑宣告』のオリジナルが掲載されていました。98万円の価格。

赤と黒」の時代より後の作品ですが<市ヶ谷風景>を紹介します。
JR市ヶ谷駅から連想をすると地理を間違えます。今も旧町名を残している富久町も一部としてその一帯にありました。監獄裏に永井荷風の家があり荷風は建て増しした六畳一間の書斎を「断腸亭」と命名しました。胃潰瘍に苦しんでいた荷風の心境を表しています。
児童公園の一角に日弁連が「刑死者慰霊の碑」を建てています。実際の処刑場とは少しだけ位置がずれているとのこと。1925年10月15日、古田大次郎は処刑されました。
 管野須賀子たち12人も。毎年1月24日に花を手向けに訪れますが、やはりその前後に花を手向けている方がいます。
 今年の10月15日には小菊でも手向けますか。
恭次郎が古田に言及しているのはこの詩だけです。先に部分引用をします。恭次郎は古田の存在を市ヶ谷に居る間に感じています。
「大きな大ちゃんの墓穴になった市ヶ谷を後に俺はだらだら坂を下った 
鉄壁を越えて来た白い蝶が俺の行く前をちらちら飛んだ。」

萩原恭次郎<市ヶ谷風景>

お偉い方々の眼には市ヶ谷刑務所も歪んで変てこな存在として宙に聳える

俺達には帝国大学とそんなに変ってうつらない

各工場も各職場も各学校もむしろ監獄より暗くいん惨と言へないか

物凄い分厚い灰色の壁 高々とめぐっている下を通ってゆくと異様な悪臭と親しさと敬虔な心が起きて来る

俺の握った札は十一号で手ヤニに光ってる

控所には髪毛のバサバサした女の背でキヤラメルをしゃぶり乍ら肩を飴とよだれでよごしている男の子供の赤い顔

断髪女 おめかけさんらしい女 

男達のいろいろの眼が眺めている

暗い胸を面会にワクワクさせているらしく子供に語ってる女

俺は蝶や菊の花を愛していた古田君が此処でやられたのだナと思っていると

何んだか古田君のお墓参りに来た気がする

『十一号!』看守に呼ばれて入ってゆく

うす暗い金網の檻には襟に番号をつけたアキちゃんの額がドアを開けるより此方を向いて立っている

『アア! よく来て呉れたナ 子供は達者か 何時東京へ来た! 差入れ有難う……』

互ひの肩を叩くやうな気になって来る 檻の網の中まで手を入れて握りたくなる

にこにこ俺達は笑はないではいられなくなる

内と外との消息がどんなにつらい事も可笑しげに語られる

『面会時間終り!』 アハハハ………… 号令した看守がびっくりする程事もなげな笑ひが期せず互ひに噴き上がった

言葉で語れない最大なものが胸底をうねった

他の泣いたり吠えたりしている面会所をよそに出て来れば 更に面会人の数は控室にあふれている

友を夫を兄弟をここに送って猶平然たる明るい顔と

すっかり沈み込んで絶望的な心配を描いてる顔と

雑然たる囃し屋連とだまりやと変ちきりんな革命歌の鼻歌と………

三等待合室とさうは変らない

高い何号舎 

何号舎 

無数の暗い室

ひばの木 

受付のおやぢのもっさりした髯

鉄門 

真鍮の大きな紋章 

藤棚 

囚人の腰紐と看守の草鞋履き 資本主義が当然たれた血の黒くなった糞の一塊りを後に

かういう所へは初めて来

此処へ来た時はもう殺されるつもりで来たのが嬉しかったと言って×された大ちゃんの事なぞを思ひ

決して資本主義はいつも甘いもんどころのものでない事を更に深められる

この建物の並立してる一番奥の中央にあると言ふギロチンに変な電熱を感じながら

大きな大ちゃんの墓穴になった市ヶ谷を後に俺はだらだら坂を下った 

鉄壁を越えて来た白い蝶が俺の行く前をちらちら飛んだ。

何んの理由もないが ちかごろ一度足を踏んでおかうと思っていた市ヶ谷……。