1925年6月16日。古田大次郎『獄中手記』

今日は小阪事件の調べだが何だか的のない矢を射るやうで張合ひない。大阪の方がスツカリ済んでゐるのだから、しかし裁判官を相手にせず、傍聴人諸君に話す気持ちで喋口つて見よう。……
好い天気になつた。自動車が少し心配だが大した事はあるまい。
如何に考へても滑稽だ、僕が裁判をうけるなんて。
僕達の新聞記事をあの人も見る事だらう。
僕の幸福な日は、遂々永久に去つて終つた。<出廷前記>
11時開廷、先づ僕に対する小阪事件の事実調べを終わり、次に倉地君の事実調べの後休憩。午後再開、弁護士諸君の証人申請──布施氏の福田雅太郎甘粕正彦等<和田久太郎君の事件に対する証人>富岡誓、逸見吉三<新谷、倉地君及び僕の事件に対する証人>及中村高一<僕に対する証人>や松谷氏の亀戸事件実見者<所謂亀戸事件の証人>や、山崎氏の僕の父なぞ、頗る盛沢山に並べたが、検事は全部必要なしとして却下し、裁判長は合議の上、只中村高一弁護士のみを証人として許した。次回は27日。午後4時閉廷。
 小阪事件について陳述中、僕は何だか眩暈がしさうで弱つて終つた。椅子を借りて腰を下ろしたが、胸が変に苦しくなつて困つた。だが水を飲んだら、胸もすいて気持よくなり、思ふやうに答弁できたのはうれしかつた。…未入力5行…(以下明日)