1910年9月21日。ロイター通信が「天皇暗殺計画」を報道。この報道がエマ・ゴールドマンたちの活動につながります。

11月12日 エマ・ゴールドマン、ヒッポリート・ハベルら5名のアナキスト・自由思想家が駐米全権大使内田康哉あてに講義文を送る、これを機に全米、ヨーロッパ抗議行動が広がる。
11月22日 エマ・ゴールドマン、ニューヨークで第一回抗議集会を開く、数百名が出席「ニューヨーク・アピール」を採択。
12月10日 ロンドンのアルバートホールにおいて「処刑反対大演説会」が開かれる。
12月12日 ゴールドマン、ハベル、ニューヨーク、抗議集会、桂首相に抗議文を提出することを採択。
12月16日 岩佐、サンフランシスコで「幸徳記念演説会」を開く、作家ジャック・ロンドン支援日本大使に抗議文を送る。