1908年11月10日。 

宮下太吉、東海道線大府駅での天皇の見物人に『無政府共産』を配る、公然たる反天皇宣伝

11月には内山愚堂から『無政府共産 入獄紀念 革命』が送付されてきた。

『無政府共産 入獄紀念 革命』(部分)
「人間の一番大事な、なくてはならぬ食物を作る小作人諸君。諸君はマアー、雄や先祖のむかしから、この人間の一番大事な食物を、作ることに一生懸命働いておりながら、くる年もくるとしも、足らぬたらぬで終わるとは、何たる不幸のことなるか。 ……………… 今の政府を亡ぼして、天子のなき自由国に、するということがナゼ、むほんにんの、することでなく、正義をおもんずる勇士の、することであるかというに、今の政フや親玉たる天子というのは諸君が、小学校の教師などより、ダマサレテ、おるような、神の子でも何でもないのである、今の天子の先祖は、九州のスミから出て、人殺しや、ごう盗をして、同じ泥坊なかまの、ナガスネヒコなどを亡ぼした、いわば熊ざか長範や、大え山の酒呑童子の、成功したのである、神様でも何でもないことは、スコシ考えてみれば、スグしれる。………………
  小作人諸君。諸君はひさしき迷信のために、国にグンタイがなければ、民百姓は生きておられんものと信じておったであろう。ナルホド、昔も今も、いざ戦争となれば、ぐんたいのない国はある国に亡ぼされてしまうにきまっておる、けれどもこれは天子だの政府だのという大泥坊があるからなのだ。
  戦争は政府登政府とのケンカではないか、ツマリ泥坊と泥坊がナカマげんかするために、民百姓が、なんぎをするのであるから、この政府という、泥坊をなくしてしまえば、戦争というものはなくなる。戦争がなくなれば、かわい子供を兵士にださなくてもよろしいということは、スグにしれるであろう。
  ソコデ小作米を地主へ出さないようにし、税金と子供を兵士にやらぬようにするには、政府という大泥坊をなくしてしまうが、一番はやみちであるということになる。
  しからば、いかにしてこの正義を実行するやというに、方法はいろいろあるが、マズ小作人諸君としては、10人でも、20人でも連合して、地主に小作米をださぬこと、政府に税金と兵士をださぬことを実行したまえ。諸君がこれを実行すれば、正義は友を、ますものであるから、一村より一ぐんに及ぼし、一ぐんより一県にと、ついに日本全国より全世界に及ぼして、ココニ安楽自由なる無政府共産の理想国ができるのである。
  何ごとも犠牲なくして、できるものではない。吾と思わん者はこの正義のために、いのちがけの、運動をせよ。(オワリ)」