AMLへの投稿。

2007/10/23 (火) 14:03[AML 16443] <加害の歴史をタブーとしない…>にて「後年 ヒロヒトが作り出す罪があまりにも大きすぎるから。たとえ財閥が天皇を操ったものであっても。成功の確率が万に一つであっても未曾有の大惨事を防ぐ努力はすべきでしょう。昭和天皇がもたらす苦しみはニューヨーク911のそれの何倍だろうか。」と書きました。
 あえて感想を書かせてもらいます。歴史の「結果」を知った立場でいえば確かに裕仁は真っ先に打倒されて当然であるわけですが、当時、摂政であった裕仁ヒロヒトを狙おうとした、あるいは狙ったと目された<そのような意思を有していた>中濱鉄や古田大次郎金子文子・朴烈は大日本帝国の「明治憲法」により神格化された天皇およびそれに準じる皇太子<摂政宮>、皇位継承者が打倒の対象でした。

 そして余力があれば帝国を構成する権力者を打倒していく心積もりであったことでしょう。皇族を打倒することで、彼らが同じ血を流す「人間」であるということを民衆に知らしめ、強権政府に支配されるのではなく平等な社会の実現に向けた行動に参加することをうながす目的でした。
 
 これらの「直接行動」に向かう考えは、20世紀初頭の初期の社会主義の時代からロシアのナロードニキの街頭における直接行動の影響が一定ありました。それは翻訳された小説などを通じて社会主義者に影響を与えていたわけです。

『想像の共同体』の著者で有名なベネディクト・アンンダーソンの近年の研究は、19世紀末からのアナキスト
ネットワークに着目したものとなっています。研究は残念ながらまだ20世紀初頭に至っていないようですが。

 2005年に早稲田大学で開催されたシンポでアンダーソンは『想像の共同体』への自己批判を行い「93年から98年の研究を通じてわたしは『想像の共同体』の弱点をはっきりと意識するようになりました。」と語り、
 「もう一つ複雑な問題、ネーションとリベラル化の関係」を新しい研究テーマとし
「アジアの初期のナショナリズムのグローバルな基盤」を考察しています。
(引用は『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』梅森直之編著、光文社新書、2007年5月発行、以降の引用も同書)

 その前提として「19世紀最後の四半世紀において国際的に主要となった左翼の流派というのは、今日われわれが知っているようなコミュニズムではなく、多様な形態のアナキズムでありました。マルクスのインターナショナルの崩壊、エンゲルスの能力不足したがって十九世紀の最後に二十年において、いわゆるマルクス主義は中央のドイツ語圏に閉じ込められているような状況にあった」
と19世紀の流派を描写しています。
<厳密にいえばアナキズムは左翼ではないのですが>

 19世紀末の海底ケーブルの設置による電信の発達、小説が翻訳を通して各地域に流通したことから、「アナキズムのネットワーク。19世紀後半 ヨーロッパ、北南米、カリブ海の被植民地、マラテスタ、メーデーの起源、翻訳というグローバリゼーション」を語り
 フィリピンの独立運動家ホセ・リサールの偉大な反植民地小説「ノリ・メ・タンヘレ」(我に触れるな)がオリジナルの1887年の出版からわずか二年後にスペインとフランスの二人のアナキストによりスペイン語からフランス語へと翻訳されたことを紹介しています。
 
 「しかしネーションを孤立した存在として、すなわちそれがとらわれている重力場を考慮することなく政治的空間に自由に漂う星々のごとくにみなしてしまっていた気がするのです。
 この意味においてあの本(註『想像の共同体』)はグローバリゼーションを考えに入れてはいませんでした。わたしがいま研究しようとしているのは、この重力場を考慮に入れたすなわちわたしが【初期グローバル化】と呼ぶ時代の空間です。
 「どのような共同体を実現するのかという問い自由はどのような結果に逢着するのでしょう」とシンポの話を結んでいます。
 アンダーソンには未邦訳の2005年の著作として『三旗のもとに アナキズムと反植民地主義的想像力』がありますが、早稲田でのシンポ、光文社新書の内容は、同書に即しているようです。
 

 アンダーソンが触れていない20世紀初頭の東アジアにおけるアナキズム(韓国では漢字をあてるとしたら
「無支配主義」という選択をとっています。【無政府】の強調より、直截的だと思います)のネットワークは東京を舞台にして中国の地域から来訪していたアナキストにより呼びかけられています。中国からのアナキストが軸になっていました。
 幸徳秋水1906年クロポトキンの著作に急速に影響を受けて行くのと同時代的に、中国のアナキストたちは1907年8月24日 パリで張景らが『新世紀』10号を発行、日本の朝鮮支配、帝国主義を厳しく告発しています。
 さらに翌1907年11月には東京で刊行した『天義』11・12号合冊に掲載した「亜州現勢論」劉志培著をもとに
東京で「亜州和親会」を設けています。朝鮮から現在のベトナムからの参加者も含まれ、第二回には大杉栄
参加していたという証言もあります。
 旧来、朝鮮からの参加者はなかったという説でしたが、近年イ・キョンソクさんという研究者によりジョ・ソアン(1887-1958)が参加していたという論文が発表されています。

 「亜州現勢論」は「私はさらにアジアの被圧迫民族に次の二つのことを望みたい。   
        一 同時に独立すること    
        二 政府を設けないこと   
…だから独立後は無政府の制度を行ない、人民大同の思想を用いて、あるいはバクーニンの連邦主義を採用し、あるいはクロポトキン自由連合の説を実行して、人民の幸福を永遠に維持できるようにしなければならない。これが被圧迫民族の人民が知らねばならぬことの二である。…」と主張しています。