1925年11月6日。望月桂、近藤憲二、秋田刑務所の和田久太郎に面会。

<参考>『大正自由人物語』小松隆二。1928年2月22日、和田久太郎の遺体引取り。
 望月桂、近藤憲二の二人は昼一二時ニ〇分に秋田駅着。

以下、小松による和田死去の日の状況が述べられている。「和田の急死は秋田刑務所の記録では監房にて午後七時に縊死(自殺)となっている」「二月二〇日は雪で明け、雪で暮れた。朝方には氷霰も舞った。一日中日照はなく、気温も下がったままであった。まさに雪国特有の陰鬱で暗い、しかも厳寒の一日であった。和田が自殺した七時頃も雪が降っていたが、その直後しばらく雪は止む。しかし八時半をまわると、ふたたび雪が降り始める」

 小松は望月の備忘録や近藤の「回想」から亡骸の引取を描写する。

 二人は刑務所側に所長面会を求め、所長は応じる。処遇の問題を追求。監房の点検は認められなかった。和田は監房棟の片隅の床の上に、囚人服を着せられたまま横たえられていた。二人は火葬場と連絡をとり段取りを決めた。刑務所を通じて橇と人夫を手配。二人が和田の亡骸と共に刑務所の外に出るころにはあたりはすっかり闇に包まれ、雨がなおも静かに降りつづいていた。