1925年9月16日「大杉君の命日だ。まだまだ生命がある。今日もいゝ天気だ。しかし、死ぬには余り明るすぎる。前には午前十時頃に死にたいと言つたが、朝の中は如何も暑苦しい、ケバケバし過ぎる感じがして厭だ。矢張り夕方がいゝ。今日の夕方なんか實によくなりそうだ。

心配する事もなし、悲観する事も恐がる事もないから、別に頭の疲れる訳がないのだが、十日からこの方、晩は實際よく眠れる。いつもよりか眠たい位だ。変わった夢も見ない。過去のこれと言つて特別になつかしい事も出て来ず、家のものたちの事も出て来ない。平々凡々の夢計りだ。
山崎さんからの手紙で、愈々検事控訴はないと解つた。大安心。
これで萬事決つたのだ。
しかし、死ぬには余り淋し過ぎる。
贅沢な事計り言つてる。なら何時がいゝのだらう。朝は落付かないから厭、夕は淋し過ぎるから厭、まるで女の子が駄々を捏ねてるやうだ。
ヂレツたい程、心が呑気で死といふものが如何なものか解らない。呑気だといふと、さも大悟徹底したやうに見えて、法螺を吹くナイと弥次られもしさうだ。ポカンとして改めよう。ポカアンとしちやつて、何が何やら解らぬといふ方が確からしい。これもまだ未決中だからだ。愈死刑囚となるとかうもゆくまい。」
古田大次郎<獄中手記・当該日の記述全文。古田大次郎に関しては参照