1925年10月15日。

9月10日、東京地裁、死刑判決。弁護人の山崎今朝弥、布施辰治は反対したが、古田は死刑を受け入れ、控訴せず1925年10月15日午前8時25分、絞首される。古田の純真な思いが表現された獄中手記『死の懺悔』が出版されベストセラーとなる。続けて『死刑囚の思い出』も林倭衛による古田の肖像画を表紙として刊行される。