『はなかみ通信』其の二十一通。画像は前号です。9月27日発行。
昨日届く。琵琶湖畔の和邇に住む高橋幸子さんが発行してい季刊のミニコミ『はなかみ通信』
(A5判80頁)に鶴見俊輔さんが詩や「私小説」という短文を毎号執筆している。
今号「其の二十一通」(07年9月27日発行)は昨日届いたばかり。(2007年10月1日)。
高橋さんは福音館の「こどもの友」のはさみこみ付録の編集を任されていた時期があり
「蚯蚓の校腸」という名前で文を書き編集していた。
鶴見さんの今号の「私小説」は四回目、タイトルは「同級生」。
冒頭を引用すると
<「──君」と呼ばれることが、近頃ないのに気がついた。
「君」と呼ぶのは、年長の友人である。年長の友人は、
おおかた、というより全員なくなった。
同級生も「──君」と呼ぶが、私は小学校に六年間
いただけなので、小学校の男性の同級生は少ない
上に、これも、なくなった者が多い。
今の一年間に、「──君」と呼ばれる機会はない。
だが、ふと気がつくと、同級生に似た感覚をおたがい
にもっている人は、生きている、生きていないのに区別を
こえて、いる。それは戦争の時代を、そのとき一緒にいな
かったとしても、戦争はいやだと思って生きてきた仲間だ。
安田武、田村義也、二人とも、なくなっているが、私の
中にのこっている二人は、同級生である。……>
後半は小学校同級生、中井英一との交友の断片。
特集は「私はなぜ生まれてきたか、生きているか」
他に関谷滋、伊藤益臣による小田実の追想。二人とも
「ベ平連」初期からの参加者。