アナーキスト! 堂々な彼らに会う 独立記念館 'アナーキストたちの抗日闘い'展 15日開幕。日帝時代のアナキズムは民族主義, 社会主義系列といっしょに独立運動の 3台主軸勢力だった. しかし解放以後南北が資本主義, 共産主義で割れて極端的なイデオロギー対決をしながら, アナキズムは両側皆からそっぽを向かれたし, 活躍に相応するもてなしも受けることができなかった.

独立記念館が光復の月 8月を迎え展示会 ‘アナーキストたちの抗日闘い-祖国を強奪した時の心臓を狙いなさい’を開く. 政府機関が開催する最初のアナーキスト行事だ.

15日開幕して 9月 30日まで続く展示会には植民地時代最高の人(名) 文章で, 1923年 1月 シン・チェホ 先生が義烈団の要請に従って作成した独立宣言書 ‘朝鮮革命宣言’, イフェヤング・柚人先生の刀履き物手記など遺品, 白貞基・李カン・フン・ウォン深窓先生など平日日本公使アリヨシAkira(有吉明) 爆殺企図事件(ユックサムゾング義挙) 関連写真と遺品, 中国南部で活動した南画韓人青年連盟に対する日製の調査報告書などがお目見えする.

また日本天皇を処断しようとしたがばれて 22年間獄中生活を一在日アナーキスト 朴烈 先生の獄中ノートと彼が出獄した後国内で発刊した雑誌 ‘信條船’ 初号(1946年 7月号), 在日韓人アナーキスト機関紙 ‘黒色新聞’, ‘黒色新聞’ 編集部が配布したアナキズム返済全段など 60余点の資料が展示される. このなかに朴烈先生関連資料は国内で初めて公開されるのだ.

日帝下韓人アナーキストたちは祖国独立の方策でアナキズムを選択して日帝に対する力強い武装闘争を展開した. 中国では黒色恐怖団, 南画韓人青年連盟, ダムルフェなどが中心になって日製の密偵ギムダルハを処断して関東軍司令官Muto老父要の時(武藤信義)と平日日本公使アリヨシAkiraなどの暗殺を試みたしティエンジン(天津)にある日本総領事館爆破を企てた.

このために中国の韓人アナーキストたちは義烈団といっしょに日製の肝胆を冷ややかにさせた義血闘い団で評価を受ける. 日本では朴烈先生を含めたアナーキストたちが黒道回, 黒牛回, 不逞社などの団体を組織して活動したが 1923年起きた東京大震災とこれによる韓国人検挙及び虐殺過程で多くのアナーキストたちが逮捕する受難を経験した. 国内ではツェガブリョング・楡林先生などが活動したが 1930年代以後日帝の弾圧が激しくなりながら中国等地で足だまりを移さなければならなかった.

独立記念館関係者は “アナキズム運動が ‘アナーキズム’に翻訳されることで, 政府がない無秩序な混乱状態を助長して絶対的自由を主張する暴力注意と同時に極端的イデオロギーで過ち知られるせいで, 権力の集中を反対して自由と平等を追い求める本姿が歪曲されたまま正しい評価を受けることができなかった“であり “アナキズムに対する誤った認識を直して国内外韓人アナーキスト独立運動活躍の姿を知らせるために行事を用意した”と言った.

アナーキスト イフェヤング 先生の業績を称える友党泥灰営繕生記念事業会のユンホングムック引っ越しは “政府機関による公式行事が開かれて感激的だ”と “これをきっかけで忘れたアナーキストたちに対する社会的再評価がもっと活発に成り立たなければならないこと”と言った.


朴記者 khpark@hk.co.kr

入力時間 : 2006/08/02 18:28