シン・チェホ評伝

futei2007-12-22



2004/09/28(Tue) 19:53:20
 梶村さんの他の論文を再読していて漱石に言及しているテキストがあるのに気付きまし 
た。1970年頃の執筆だと思います。
 長文の一部ですが漱石に言及している部分の半分くらいを書込みました。

申采浩(シン・チェホ)の啓蒙思想 梶村秀樹
「かれの写真を眺めていると、ふと中国の魯迅と日本の夏目漱石と朝鮮の申采浩という連想が浮んだ。……そういえばよく似ているところがあって、その上似ていないところもあるようだ。……試しに生没年を調べてみると、漱石がちょっと早くて1867年生まれ、申采浩が80年、魯迅は81年、死んだのも漱石がちょっと早くて1916年、申采浩と魯迅は全く同じ1936年である。

 三人とも、ほぼ同じ世代の、状況と自己から目を離さなかった、ほんものの知識人である。

 生活としごとの領域のちがいは、三国それぞれの問題状況のちがいによるものだろう。漱石の生活は少なくとも表面安泰であり、その安泰の中での憂鬱を作品にほぼ昇華させつくして、畳の上で死んだ。魯迅は、半植民地中国の矛盾の焦点である上海で悪戦苦闘しながら、寂寞の中で死んだ。申采浩は、赤貧洗うが如き亡命生活のすえ、八年間もの獄中生活の辛酸をなめ、生命を奪われた。
 
 魯迅と申采浩とは、ともに状況への応接にいとまなく、むしろ多くの時論にその本領の片鱗を示し、ゆっくりと長大な作品に自己の思想を表現しきることなく終った。それでも魯迅には、苦渋の結晶である相当数の短編小説があるのに対し、申采浩はより具体的な歴史学の領域まず精力を傾注せざるをえなかった。ただ、かれが余技のごとくに書き残した数編の短編小説があって、それがやはり奔放な空想をまじえた歴史小説であることが注意をひく。
 この思いつき的な三人の対比が妥当であるかどうかは、比較文学論か何かの専門家にでも、状況的なものと個性的なものとをみわける綿密な検討をこいたい。たしかに申采浩の作品は、文学技法上熟したものではないかもしれない。しごとのジャンルのちがいのために、この対比は、一無理なこととみえるかもしないが、人間的・思想的対比としてそれほど突飛゛ないような気がしている。いずれにしても、ほかの二人とくらべて、あまりにも不釣合いに、申采浩は日本では読まれていないというべきではないだろうか?」