2006-10-01から1ヶ月間の記事一覧

amlで受信しました。以下丸ごと転載します

地元商業者の団体「下北沢商業者協議会」が主催で、世田谷区に サウンドデモをすることになりました。 お誘いあわせの上、お越しくださいませ。 また、ご興味をお持ちの方に情報を転送していただけると幸いです。よろしくお願いいたします!!! ■□ 世田谷区…

『社会運動の昭和史−語られざる深層』加藤哲郎・伊藤晃・井上學〔編〕白順社、2006年7月25日、412p. 4,200円)。

刊行直後にMLで案内がきていたが昨日、図書館から借りる。ざっと一読。共産主義の系譜の人々、共産党の「歴史」の中で「正史」では語られてこなかった(得なかった)、事柄。加藤哲郎の冒頭の論は、共産党の結成日が1921年3月か4月に絞られるという前提から第…

1923年10月8日。新山初代、本郷区駒込蓬莱町18、雑貨菓子商、22歳、母と妹二人、大正9年3月、東京府立第一高等女学校を卒業、後三カ月程、正則タイピスト学校に通う約2年程事務員、その間1年程正則英語学校、夜学に通学、昨年8月事務員を止めて、同年11月駒込に一戸を構え独立して商売を始めた。

母と別れて、一戸を構えた理由は私が肺が悪いため家族へ伝染を恐れたのと、私の気分として一人で居りたいというためとであります。2、私は16歳頃から死というものを考え始めました。死の問題から思想上の問題を考える様になりました。女学校に居る頃は、国…

1926年10月7日。黒色青年連盟員、宮崎晃ら日立製作所争議に関わり社長・久原邸の玄関先に放火。

1919年10月6日。創刊、『労働運動』紙。第1号発行、本郷区駒込曙町13。

大杉栄執筆原稿<労働運動の精神><賀川豊彦論><読者諸君へ>「中村還一、年二十二、時計工、和田久太郎、二十七、人夫、新聞紙違反で十ヶ月の牢獄生活を終えて出て来たばかり 近藤憲二、二十五、早稲田大学政治科卒業伊藤野枝 尾行巡査への障害罪で入獄…

1919年10月5日。大杉栄、午後5時 築地精養軒 山崎今朝弥開催 晩餐会に出席。「晩餐会は本年8月8日より一週間平民大会に於て自己主催の下に開催せる夏季講習会に関する講師竝に尽力せし者に対し慰労」

1913年10月5日。大杉栄、シンヂカリズム研究会開催。「会する者総て13名、大杉は講話、資本家と労働者」

1923年10月4日。ギロチン社、田中勇之進、甘粕正彦の実弟五郎を襲撃するが警官によって阻止される。

1926年10月3日。黒色青年連盟・東海連盟、清水にて発会記念演説会を開く。記事「黒旗の下に」《東海連盟》清水、10月3日。「」『黒色青年』6号掲載。1926年12月1日発行。

1922年10月2日。朴烈、大島製鋼争議支援。

1919年10月2日。大杉栄、巡査殴打事件第二回公判。弁護士花井卓蔵、大澤一六、長野■助、山崎今朝弥、布施辰治の5名出廷。被告は先般も起立せす悪習慣は改めさるへからす依て起立するの必要なしとて起立せす…

1912年10月1日大杉栄、荒畑寒村 『近代思想』創刊 幸徳伝次郎発行『自由思想』の購読者名簿に拠り各地方の同志に対し葉書を発送して該雑誌の購読を勧誘大杉栄テキスト<本能と創造>評論<発刊事情><9月の評論>

1922年10月1日『労働運動』8号刊行

<革命の研究5>大杉栄 <編集室から>「パンフレットが飛ぶように出て行く。『青年に訴ふ』八千部刷り『革命の失敗』は五千部刷ったのが、どちらももう殆どない…二十三日 栄」 <独裁と革命 無政府主義革命に就いての一問答> 大杉栄 <労農ロシヤの承認> …