2007-09-01から1ヶ月間の記事一覧

所用あり飯田橋界隈に赴く。地下鉄二駅を乗り継ぎ、旧本郷富士前町から「労働運動社」跡地界隈、続けて三角二階、南天堂前を歩く。

1925年9月12日古田大次郎<獄中手記>より

「夜の眠りは流石に安らかでない。江口夫妻が来てくれた。和田君の控訴はやめたさうだ。」

1923年9月12日<ギロチン社>「仲喜一、大阪合同紡績重役を狙うも東洋紡績重役に狙撃重症を負わす」 

1925年9月11日

古田大次郎「獄中手記」より「…昨日面会場で布施君と話してたら、机の下で蟋蟀がないてゐた。昨日自動車の内から、外の景色を眺めてこれが見納めかと思つたが、別に変つた感じも起らなかつた。和田君を突ついて如何だいと聞いたら、同じやうな事を答へた。和…

1924年9月10日古田大次郎「獄中手記」より

『死刑の宣告を聞きにゆく日』 九月十日! 去年の今日、朝早く、寝込みを襲はれて村木君と僕は、他愛なく警視庁に挙げられて終つたのだ。早いもので、もう一年経つた。因縁の深い今日、刑の宣告を承はりに、さア出掛けるとしようかな。帰監後、予ての覚悟だつ…

1925年9月10日古田大次郎、村木源次郎弾圧される。

「上蛇窪の根拠地に刑事を派して内偵させた所、倉知は七月二十八日金策のため下阪して六畳、三畳二間の長屋には古田と村木が潜んで既に製造された爆弾十数個が積み上げられてゐることが判り、万一踏込みが知れるや爆弾を爆発し自殺しかねまじき形成なので刑…

藪山に近い山梨県の大沢山を歩く。

「登山地図」にも明記されていない山には日曜日であっても誰もこない。くだりに選んだルートは営林署などが使用する作業道。ほとんど踏まれないルート。崖に近いところを下る。玉河屋にて打ち上げ。

『トスキナア』六号の制作最終過程。

1924年9月6日

「古田大次郎、大将・福田雅太郎宅に小包爆弾を送りつける、爆発するもけが人なし」 古田大次郎、中浜哲、ギロチン社

1923年9月3日。金子文子、朴烈「保護」という名目で検束される。

1923年9月1日

和田久太郎意見陳述より1第二回公判での意見陳述(1925年6月) <今、仮に一歩を譲つて、判検事の僕に言はれた如く、また福田自身の言明の如く甘粕の行為は決して福田大将の与り知らなかつた所だとした所で、しかし、あの虐殺が決して甘粕等自身の自発的行動で…