『日本無政府主義運動史』第1編  黒色戦線社刊 1982年10月第二版

 大島英三郎さんの黒色戦線社により編集された。「運動史」と「アナキスト関連事件の判決文」で構成されている。運動史の部分は復刻版であるが原本の奥付け、解説の掲載は無し。原本のタイトルも不明。本文だけの復刻。「運動史部分」の著者は四人で、第五次『労働運動』の主要執筆者。『労働運動』の最終号は1927年10月であるが、運動史に関する連載はなかった。また出版の予告、宣伝等も掲載されていない。伏せ字の部分も何カ所かあるので、当局に届けたうえで発行されているようだ。
 著者と項目のタイトルは以下の内容。   
「日本無政府主義の由来」は石川三四郎によって書かれている。
 平等主義の著作から始まり(1875年『國體新論』加藤弘之等)、1882年の東洋社会党の綱領、盟約を詳しく紹介し、無政府主義であると評価している。徳富蘇峰による民友社の『国民の友』がヨーロッパの思想、運動状況をいち早く紹介した功績に触れている。平民社時代を語り、堺利彦批判を展開している。1907年「余が思想の變化」によって幸徳秋水無政府主義の立場にたったこと、大逆事件に触れ死刑執行された一二名、減刑の一二名の名を列記している。「私はこの事件があって二年の後、日本を脱走して、永い
漂浪の生活に赴いた。」との結び。

「沈潜期以後 社会主義同盟の解散まで」は近藤憲二が書いている。
赤旗事件」「大逆事件」の弾圧から述べ始めている。「大逆事件」に関しては、「この事件の内容は今なお一つの謎であり、かつここにそれについて述べる自由を持たないのであるが、………」と記している。暗黒の時代の後、売文社が苗床となり、大杉、荒畑が『近代思想』を発刊し、「社会主義運動の復活」としている。サンジカリズム運動の発足、ロシア革命から労働運動の勃興、社会主義同盟の創立、週刊『労働運動』における共産主義者との協同戦線、裏切り、ロシアの民衆運動への希望を語っている。 「『總聯合』の決裂と其の前後」は水沼辰夫。1920年メーデーを機にした東京の『労働組合同盟会』の組織化から、1922年の総連合創立、決裂に至る経過を記述。大杉栄、望月桂、加藤一夫に触れている。  

「震災後の無政府主義運動」は古川時雄。
 総連合の決裂からボルシェヴィキ批判(山川均の「方向転換論」への批判)。関東車輌工組合の労働争議への裏切りを語っている。大杉達の虐殺から朴烈事件、及び植民地の運動を記している。
「黒友會」洪鎭裕、陸洪均、徐東星、鄭泰成、張讃壽等。朝鮮「黒旗聯盟」洪鎭裕。
 1926年の大邱事件、方漢相、申宰模、馬明、栗原一男、椋本運雄、金正根(1927年獄中死)と同志の名を挙げている。大杉の復讐運動、ギロチン社事件、1926年の全国労働組合自由連合会の成立、1925年の黒色青年聯明の結盟、1927年の農村運動聯盟の結成まで述べ、1927年時点でのアナキスト団体と機関誌紙の発行状況を記している。文末に1927年12月4日と記載。後半は「大逆事件」「福田大将狙撃事件」「虎ノ門事件」「朴烈事件」「農村青年社事件」等の判決文を資料として掲載。解説、事件の概要の記述はない。黒色戦線社による編集。 

 前半の「運動史」は1927年に纏められたと推測できる。それぞれの筆者が活動に関わっている時期とほぼ一致しているので現実的な記述である。石川の東洋社会党への評価等、初期社会主義に至る記述は興味深く読める。近藤、水沼、古川の記述は運動の当時者の証言でもある。

                          ウェブサイト[アナキズム]より再録