★1911年1月24日 宮下太吉らが処刑される。

 AMLに投稿しました。
「九五年前の一月二四日、政治犯一一名が朝八時過ぎから午後遅く八時間の間に処刑さ
れた。翌日にも一名の処刑。一九一一年の出来事。

死刑とされた事件は「大逆事件」と呼ばれている。(「事件」の詳細は次のサイトに
まとめているので参照してほしい。)

http://www.ocv.ne.jp/~kameda/miyashita.html

例年、二四日前後の週末に追悼集会が催されている。今年は二九日に開催。

大逆事件処刑九六年追悼集会 一月二九日午後一時から四時 参加費五〇〇円。
『ニュース』四五号が当日発行される。主催は大逆事件の真実をあきらかにする会」
会場等の問合せはE-メールで kameda@s2.ocv.ne.jp
一二名が処刑された東京監獄処刑場の跡地は小さな公園となっている。現在の新宿区
余丁町に位置している。日弁連がその地で処刑された全ての刑死者を慰霊する碑を公
園の一角に建てている。

幸徳秋水、午前八時六分。新美卯一郎、午前八時五五分。奥宮健之、午前九時四二
分。成石平四郎、午前一〇時三四分。内山愚童、午前一一時二三分。宮下太吉、一二
時一六分。森近運平、午後一時四五分。大石誠之助、午後二時二三分。新村忠雄、午
後二時五〇分。松尾卯一太、午後三時二八分。古河力作、午後三時五八分。処刑。二
五日、八時二八分管野須賀子絞首。

大審院の判決はわずか一週間前の一八日で二四名に有罪判決であった。翌一九日、遅
い時間に一二名の特赦が決定され無期懲役となった。

日帝による朝鮮の植民地化、東アジアへの侵略とリンクされた大弾圧

 天皇を中心とした国家体制への反逆を一切許さないとする大日本帝国憲法下での社
会主義者への弾圧

 死刑制度とフレームアップという国家と結びついた司法の問題。

 大逆罪は現憲法が実地された一九四七年五月から半年を経てようやく現刑法から削
除された。

いずれの課題も問い直され続けなければならない。」

 参照「アナキストたちの記憶」
http://d.hatena.ne.jp/ichigaya/20060124