和田久太郎

<久太と渋六 日なたぼっこの会の約束> 堺 利彦
 和田久太郎君が去年以来、監獄から私によこした手紙を集めて、繰り返し読んで見た。そこに『久太と渋六』の面影が(少なくとも私にだけは)非常に面白く現れている。以下、それを抄録して見る。
 <…略…>
「先づ御芽出度う!『年が又暮れる、僕は五十六になる』というのを見て「へえ──五十六!」と、急に貴君が老人になった様に感じましたっけ。しかし、考えて見れば、売文社の玄関番だっ僕が、もう三十三ですからねぇ。……貴君も大切にしていて下さい。再び社会でお目に懸かれたら、日南ぼっこでもしながら昔し噺のお相手になりましょう。 十四、一、六」
註(堺)。この『日南ぼっこ』には由来がある。或時(原が刺されたり、安田が殺されたりした頃)私の家の縁側で、和田君と村木君と私と、三人が日なたぼっこをしながら、いろいろ昔話をした事がある。その時、『飛行機その他続々落ちる小春かな』という私の俳句を、和田君が面白がったりしたついでに、『梅毒と肺病と禿頭が日なたぼっこする小春かな』という様な即吟をやった。「僕の監房に、ひさしと高塀の間から、朝廿分ほど日がさし込みます。 一番嬉しい時間です。
初日影一尺ばかり漏れにけり。
 その僅かに見渡し得る塀の上の少し離れた處で、時々焚火の煙が見えます。……
憶うかな、焚火に映えし悲痛面。 十四、一、六」
 いよいよ僕の一番嫌だと思っていた『無期に決定しました。が控訴はしません。……古田君が時分の直ぐ傍らで縊らるゝのを知りながら、自分は控訴してそれを見ているに堪えないんですよ。気持ちがね…… それに、……此頃では『十五年、廿年という刑と無期となら大した違いもあるまい、どうでもいゝや』というづぼらな気に成ってしまった事です。……  さて、斯うなってくると、いつかお約束した『日南ぼっこ会』も少々空想の霞がかゝった様な感のないでもありませんな。僕の思うのに、貴君も少なくとも此後ち『十五年間』は生きていて下さらないといけませんよ。僕もいまから『十五年間』は、何んとかして、衰弱と病気とに(肉体的にも精神的にも)苦闘しながら、一生懸命生きて居ようと思っています。『日南ぼっこ会』という、すばらしい理想の為に。……… 赤に成ったら、またぼつぼつ英語と数学とをやりたいと思っています。英語と数学が一歩々々 進んで行けば、そこへ自分の『生きて行く』という気持ちがよりよく自覚されようとおもってね。それに新しい社会には、統計が……従って数学が……最も大切だと思うから、僕の数学が実を結んで、しかもそれがその時の役に立つ……てな殊勝に望もあってね。ハッハッハッハッハッ。まアどうかして麦飯で英、数を釣り上げたいものです。昨日の公判で、……僕は、判事が判決文の前段をくだくだしく読み上げているうちに、秋雨の音をきゝながら独り句作に耽っていました。そして、言渡しの済んだ時には、確か三句ほど書きつけていました。いまは忘れてしまった思い出せません。その句を。
秋雨を餞けらるゝ別れかな。  
これはその日帰ってから作った句です。帰りの自動車の中では、
見納めの街は秋雨昼灯、と駄句りました。下る迄には、まだまだメイ句が吐けそうです。……… 十四、九、十一」

堺生云。九月十七日、私は和田君に面会して別れを告げた。今後十五年間生きる事は、僕によりは君の方に可能性が多いと云うと、和田君はいつもの癖の、右の手で顔を一つクルリト撫でて笑った。又、近々何かの雑誌に『日なたぼっこ会』の事を書く積もりだと云うと、ああそれはあんたの筆に似合った題目だと云って笑った。私は今それを、こういうズルイ形式で書き現わした。

「和田久太郎君の事ども」堺利彦

 昭和三年二月××日、和田久太郎君が獄中で自殺した。…… 先ず和田君の遺著とも云うべき『獄窓から』を少し読んだ。少し読むと、あとからあとからと引続いて読みたくなる。考えては読み、読んでは考える。手紙と俳句と随筆とが無限の興味と感慨を起させる。
…… 『この上はウンと馬鹿になって、生きられるだけは生きているつもりだ』と云った彼が、とうとう矢張り自殺した心持ちも分って居る。私のような、自殺の出来そうにない弱い男は、いろいろ苦しい思いをする。彼の死んだという報知に接した時、私は胸がピタリとつかえるという感じもした。 久太の一生涯の荷がおりたのだ。

『もろもろのなやみ消ゆる雪の風』
辞世の句も嬉しい。