『獄窓から』和田久太郎

昭和二年三月十三日
 …恩典は予期しなかっただけ、それだけ喜びも大きかった。君の言葉の如く、これで『どれだけ心丈夫かしれない。』たとへ十八年後の遠い所にでも、兎にかく一点の光明が認められるやうになったのである。その遠い所の一点の光明が現在の心持の上に照り輝く力は大きい。私は嘗ての遺言的な一文の中に「この体は三年はもつまい」と書いて置いた。が、当所へ来てから、だんだん「なあに、さうでもない」といふ自信が出て来、更らに此の度びの光明によって、再び社会に出られるかも知れないと、夢が楽しめるやうになって来た。喜んでくれ。
 いま私の読んでゐる『旅人芭蕉』といふ本の中に、次の如き文章がある。
『自分も随分迷ったものだ、もがいたものだ、希望から焦慮へ、困憊から懊悩へ、人間として嘗めなければならぬ苦しみは大概味って来たのだが、……それは、譬へば日陰もない野を、ぐんぐんと毎日歩き続けてゐたやうなものであった。そして、それは生きるために唯一つの道だと思ってゐたのではあるが、今から考へれば、自分は生きようといふ意志にむきになり過ぎて却って本当に生きられなかったのだ。自然のままに生かして貰ふ、といふ受身の気持になりさへすればいいのであった。……』
 近頃は斯ういう言葉に、しみじみと親しさを感ずるようになった。
『獄窓から』が三月に出版されるとの事、諸君の尽力、殊に近藤君の骨折りを厚く感謝する。出たら早速送ってくれ給へ。……
古田大次郎遺稿』を獄窓から』と一緒に送ってくれ。読ませられるらしいから。
 皆んなによろしく。
 寂しさを敲きにくるや窓霰
 金網を掻き鳴らしけり玉霰
 月の砕け落つるとばかり霰かな
 躍れ躍れ天の童の玉霰