「二十六日夜半」その参

 其処でかふした私の態度に発せられたと憶える昨日の上村氏のご質問に対し、徹底的に答へて置きます。上村氏は私が『もうどうせ此処まで来たのなら』と云ふ風な気もちでお役人の訊問に応じた事はよかったかとのお訊ねでしたが、其の先がちと曖昧だった。『もうどうせ此処まで来たのならエラク見えるやうにやってやれ』と云ふのか、又は『もうどうせ此処まで来たのなら、面倒臭い、ギロチンまで行ってちまへ』と云ふのだか。で其の二つ共に答へます。
 私は決して自分が売名欲をもって居ないとは言ひません。いな、タップリもってるでせう。而し、お役人の訊問に対する時、さふした気もちに動かされて答へた事は、まず無いやうな気がします。
 其れから第二の意味に就いては、斯ふお答へしませう。大して生に興味をもって居ない私の事です。或はさふした気もちに動かされた事が有るかも知れん。而し、いくら強がっても私はやっぱり生きているのだ。で、或はなかったかも知れん。が何にしても、私は其の時、自分がさふ云ふ事を欲したからさふ云ったのだ。つまり云ふべくして云ったのだ。で、よしんば其れがエラク見せようと云ふ幼稚な虚栄からであったとしても、又は強がりの痩せ我慢からであったとしても、私は其の事に就いて誰にも義務は負はない。私は只、私自身に質して見さへすれば其れで好いのだ。
 弁護人諸氏、私は斯く歌ひ、斯く踊ります。其れに就いての御判断は全く諸氏の御自由です。
 〆
 これで私のヨふは終ひです。
 処で、書記さんは私の利益の為にこれを書いて欲しい、と云はれた御要求のやう、伝へ聞きましたが、其れに応じた私は決して裁判所に対して自分の謂ゆる利益を主張する為に書いたのではありません。
 現に此処に監獄のお役人を前に置いて私は云ひます──。
 私は朴を知って居る。朴を愛して居る。彼に於ける凡ての過失と凡ての欠点とを越えて、私は朴を愛する。私は今、朴が私の上に及ぼした過誤の凡てを無条件に認める。そして外の仲間に対しては云はふ。私は此の事件が莫迦げて見えるのなら、どうか二人を嗤ってくれ。其れは二人の事なのだ。そしてお役人に対しては云はう。どうか二人を一緒にギロチンに投り上げてくれ。朴と共に死ぬるなら、私は満足しやう。して朴には云はう。よしんばお役人の宣告が二人を引き分けても、私は決してあなたを一人死なせては置かないつもりです。──と。